私の本作り2 湯川成一

 湯川書房 湯川成一さんの一周忌について話題にしている方は、ほとんど生前に
湯川さんと親交のあったかたでして、当方が知ったかぶりで話題にするのは、おこ
がましくもありです。
 本日に目にしたのは、詩人である時里二郎さんのブログ「森のことば、ことばの森」
の7月8日ですが、過去分では、時里さんが湯川書房からだした詩集の書影なども
みることができます。 ( http://loggia52.exblog.jp/i0 )
 
 さて、昨日に引き続き湯川成一さんが、「銀花」14号に発表した「私の本作り」
の掲載です。

「 いつころからか、書物の工芸的な美しさというものに魅せられるようになって、
病が嵩じてくるにつれ、自分の手で装幀を試みてみたいという見境のない想いにとり
つかれていたころ、ステファヌ・マラルメ『半獣神の午後』初版本への愛着を
綴られた鈴木信太郎の随筆に出会った。このマラルメの世界的に著名な本をいまだに
みる機会がないのだが、鈴木信太郎の文章を読んでから、想像の「半獣神の午後』が
脳裡にこびりついて、妙なことに見もせぬ一冊の書物が結果的には装本に手をつけ
させる発火点のようなものになってしまった。作品は辻邦生さんのものと小川国夫
さんのものにしようと一人で勝手に決めていた。お二人の作品にも偶然出会って
いて、いつか本をつくるようなことになればお二人の小説にしようと思っていた。
出版が業でもなかった俄出版屋に快く承諾してくださったお二人の御厚誼がなかった
ら、私の客気も頓挫していただろう。何事にもめぐりあわせというものがつきまとう
ものだと思う。このようなわけで、私が最初に刊行した『北の岬』には、想像の
『半獣神の午後』初版本がどことなく影響している。もちろん本物の『半獣神の午後』
とはまるで似ていないものだろうと思う。
 美しい本を作ってみたいという熱意だけは燃え上がっていても、いざ着手すると
なれば、紙屋は無論のこと、印刷所も知らなければ製本屋もわからなかったのだから
無茶な話である。そのくせ意図だけはかたくなで、製本は手造り、印刷もしちめんど
うな注文を受けてもらわねばならないわけで、印刷所と製本師の探索には苦労
した。製本屋を探した時にはちょっと虚をつかれた。職業別の電話帳に羅列された
製本屋に上から順に片っ端から問い合わせてみると、手造り本などはおろか、二百部
などという少部数の注文はすべて鼻の先であしらわれた。こちらの甘さを痛く感じ
ながら、先行きが思いやられた。
 技術的に無知なものが想念だけを頼りにあれこれやったわけだからまったく
無我夢中の状態だったので、でき上がった時はほんとうにうれしかった。
『北の岬』には処女刊行本としての感激がつきまとう。例えば、一冊一冊頒布されて
いくことにさえ予期せぬ喜びを味わった。自分の手で装本さえできれば充分だった。
今日でも発行者であることにはあまり興味がない。装本したさの本作りである。
交響楽団に喩えれば演奏会のプロデュースなどに興味はない。指揮者がよい。だから
私は自分の刊本の装幀を他人に任せたことはない。頒布することも二次的なものに
思っていたのである。『北の岬』を発行してまもないころに、「郵便などで申し込ん
でいるのがまだるっこしくて直接買いに来た」という人が訪ねて来たりした。明らか
に独り合点の思い過ごしなのであるが、申し込んでくださる一人一人が私の本に対す
る共鳴者のように錯覚してしまうのである。
 当時、作者の辻邦生さんはパリにおられたので『北の岬』は氏の奥様に届けた。
国分寺駅に着くと、昨日から降り続いた雪がやっと降りやんでいて駅前広場には
降り積もった真新しい雪がちらちら幻想的に光って街並がゆらめいて感じられる
印象的な日であったが、取り出した『北の岬』を奥様は大切そうに手にとられながら
「雪が降り積もっている日に、こんな白い本を届けてくださって」と最初の感想を
話される言葉を聞きながら、本作りの冥利を思った。」(つづく)