記憶の中で育つ

 岩波「図書」3月号の鶴見俊輔さんのコラムは「記憶の中で育つ」というタイトルで
中井英夫さんの記憶について書いています。鶴見さんも、中井さんもともに知的な名門の
出身でありまして、ともに東京高等師範付属小学校という選ばれた家庭のこどもだけが
集まる、当時の教育ママたちにもっとも信頼された学校にかよっていたのでありました。
 鶴見さんは、日本での学歴は小学校だけで落ちこぼれたと、常日頃いっていますが、
これは、日本的な尺度でははみ出してしまって、劣等生とならざるを得なかったという
ことのようです。
「 学校に一緒にかよった経験が私には少ない。小学校だけは同じ学校に六年通ったので、
同級生は一人一人名前と人をおぼえている。そのなかで、共通に呼びだせる景色で友達と
みきわめたことが一度ある。
 探偵小説家中井英夫と私は、1928年4月1日に同じ小学校に入り、6年後に卒業
するまで同じ小学校にいた。
 それから20年もたって、私は本屋の高い棚に見慣れない著者による推理小説を見つ
けて、あの本をおろしてほしいと注文して手に取ると、開いたところによく知っている
景色が出てくる。その本を買って下宿にもどって読むうちに、この本の著者と私は知り
あいだと感じた。
 発行元に知っている編集者がいたので、この著者は私のしっている人物ではないかと
問い合わせると、そうだという返事がかえってきた。ペンネームは塔晶夫。本名は中井
英夫。著書は『虚無への供物』だった。」

 東京高等師範付属小というところを卒業すると、ひとかどの人間になっていないと
卒業しても肩身が狭いと書いているいるのを読んだことがありました。高等役人になる
とか、医者とか会社の重役になっていることが、ここの卒業生には期待されていたので
ありました。この小学校のクラス会に参加するというためには、出世していなくては
肩身がせまくて、出世していなくて参加するためには、学者くらいになっていなくては
いけないと書いている人がいました。その人は、小学校のときのあだなが「ソクちゃん」と
いうのだそうですが、それは「ソクラテス」からとられたものだそうです。小学生で
ソクラテスというあだ名ですよ。

 中井英夫さんは、この小学校では折り紙つきの劣等生であったと、自分で書いています。
これは鶴見俊輔著作集月報(75年5月)に寄せた文章です。
「 過日、永井道雄の文部大臣就任と私の泉鏡花賞受賞を祝うという名目で、久しぶりに
高師付属中の同窓会が開かれた。席上、嶋中鵬二が立って、『私もこれで永井ほど勉強を
していたら文部大臣になれたかも知れず、中井ほど勉強しなかったら、あるいは鏡花賞を
もらえたかも知れません。』
 などとあいさつをしていたが、それはいかにもそのとおりで、そのころの私は怠け者を
通りこして、そもそも勉強の意味がまったくわかっていなかった。・・
 ところで、その同じ小学校にいた鶴見俊輔が、私よりも劣等生だったと、断固自分で
言い張るのを聞いたのは数年前のことである。」
 鶴見俊輔が劣等生であるというのは、にわかに信じがたいものがありますが、この著作集に
よせた文章では、小学校から40年もたって中井が短歌大系への原稿を鶴見に依頼するために
京都へといって、食事をともにしたときの昔語りでのこととあります。
鶴見さんは「小学校にYって奴がいただろう。あいつと富浦で初めて会ってさ、劣等生同士の
カンですぐ仲良くなったんだよ。」と中井さんにいい、中井さんは、次のように続けます。
「そう、そのYこそは私がひそかに目してオレより出来ない奴がいると安心をしていた
一人なので、わたしはその一言で鶴見が本物の劣等生であったことを信じたのだった。」
「