書肆山田の本 3

 「書肆」というのを使用するのはこだわりなのでしょう。版元でいくと
書肆ユリイカ」とか「書肆山田」なんてのがあって、書店では「書肆アク
セス」というのが最近までありましたです。
 「書肆」という聞き慣れない言葉を、最初に意識したのは、大阪のビジネス
街のはずれにあった「書肆青泉社」(?)というこだわりの本屋(店主が
木村さんというかたでありました。)さんのことを知ることになってからです。
店主は川に生息する鮎かなにかについて本を著しているかたですが、その関係で
自然保護にも熱心に取り組んでいるかたでありました。梅田の駅からすこし
離れたところにあって、わざわざいくにはちょっと足の便が悪いということもあり、
数回訪れるにとどまりました。(大阪の地理不案内であったことと、小生を案内
してくれる友人が、とんでもなく土地勘がよろしくない人でありましたので、
なかなかたどり着けないのでありました。)
たぶん、今はなくなってしまっているのではと思いますが、今から40年前くらいに
あったこだわりの本屋で、小生が通い、いまも残っているところは、京都 三月書房
くらいで、ほかはあまり思い浮かばないことであります。
 書肆山田というからには山田耕一さんの名前が奥付にあるものがよろしいこと
です。山田さんは、詩集のコレクターが高じて出版社をおこすことになった方で
ありますので、山田社主時代の詩集は、たくさんのしかけが施されているので
ありました。
 本日に書架から抜き出してきたのは、書肆山田 「タラマイカ偽書残けつ」
谷川俊太郎であります。瀧口修造さんの「墨汁による飛沫 62年」が装幀に
使用されているのでした。小生のもっているのは、普及版で1,200円であり
ますが、この本には、限定百部の特装版が用意され、これには著書の書名が
はいって21,000円とありました。
 この詩集には、長い前書きがおかれているのですが、それがこの詩集のなりたちを
説明しているのでした。
「 これから私の語る言葉が、正確にどこから来たものか私は知らないと、
その老船員はいった。もう半世紀も昔のことになるが、たまたま乗り合わせた
ナポリからボンベイに向かうおんぼろ貨物船の、予備のティポットを包んだ故紙に、
これらの言葉はスウェーデン語で記されていた。北部ギジン、タラマイカ族より
採集という、短い註がつけられていただけで、何の説明もなかったその叙事詩とも
箴言ともつかぬものを、私がいつのまにかそらで覚えてしまったのは、久しぶりに
出会った母国語がなつかしかったからだろう。航海が終わってボンベイに着いた時
には、その数枚の紙片を私は紛失してしまっていたが、私の記憶に刻み込まれた
言葉だけは、五十年後の今日も、こうしていきていて、私はそれをまるで私自身の
発した言葉であるかのように親しみを感じる。」