限界の文学

 独文学者の川村二郎さんが亡くなったと新聞にのっておりました。家族のお話に
よりますと、本を読んだままの姿勢でなくなっていたとのことです。本を読んで
夜更かしすることがあったので、そのスタイルで発見されても、いつものこと
くらいにご家族は思われたかもしれません。享年80歳とのことです。
 独文専攻というと、なぜか青春文学の愛好家というようなイメージがありますが、
これは旧制高校生活のなかで形成されたものかもしれません。独文出身の文学者と
いうと柴田翔のように甘い目の小説を書く人と、小生は刷り込まれておりました。
 そうした時代に、「限界の文学」河出書房 69年刊 でデビューした川村二郎
さんは、硬質な批評家と思われたのです。
 書名は「限界の文学」となっていますが、書名となった文章はなく、ホフマンスタール
アドルノベンヤミンルカーチ、ムシール、釈超空、河野多恵子などがとりあげられて
いるのでした。あとがきには、こうした人々を対象として選んだことについて、次の
ようにコメントをしています。
 「 文学というものを成り立たせる場所、その境界がどこに位置しているのか、という
ことにつきるよういである。一方には、精二を極点とする現実の諸関係の世界、いわば
『有』の世界があり、他方には、魔術的な呪文のたぐいがわずかにその消息をうかがわせる、
一切の現実的関係が失われた世界、いわば『無』の世界がある。文学は、このどちら
に属するものではないが、しかも、このどちらにも接していなくてはならない。」

 けっこう硬いイメージがあるのですが、川村二郎さんのもので一番読まれている
ムジール」の「三人の女・黒つぐみ」(岩波文庫)は、けっこう甘い小説であるの
でした。川村さんに、このような作品に惹かれる一面があったのかと、あらためて
思うのでした。
 川村さんの文章で、忘れがたいのは、川崎球場でロッテの野球見物をすることを
村祭りにたとえたものでありまして、切り抜きがどこにはいっているのか、まったく
確認はできないのですが、あの文章は、首都圏でプロ野球の興業が最後まで残った
土のグランドでの野球へのオマージュであって、川村二郎さんの本質は、むしろ
このエッセイにあったのかと思ったのでした。