半自叙伝 菊池寛

 岩波文庫の1月刊の「半自叙伝」菊池寛が、やっと読了をむかえそうです。
時間さえあれば、ほとんど数時間ほどで読むようなものですが、ずいぶんと
時間がかかっていることであります。
 小生が、中学校にいっているころに、菊池寛の自叙伝のようなものを
原作としたドラマがあったように思うのですが、これがはっきりとしないので
あります。ネットで、40年ほどもむかしに菊池寛の原作によるドラマと
検索をかけるのですが、うまく情報を得ることができません。
 この菊池寛のものを読んでいて、一番、そういうことかと思ったのは、
帝国大学の選科ということについてであります。
教育の旧制度というのは、すごくわかりにくくて、旧制中学から高校へと
いってから、帝国大学にはいるというコースのほかに、実業学校から
上級学校へといって、大学へとたどり着くなんていうこともありました。
 菊池寛は、高等師範を途中でよして、旧制高校に入学し、これを中退
して、帝国大学の選科にはいってから高等学校の卒業検定試験を受けたと
ありました。
「 京都大学選科入学には、試験があるので随分心配した。学力の点では、
 充分自信があったが、しかし万一入れないといきどころがないからである。
・・・ 級は、京都の英文科としては前後にないほど、多くの学生が入った
 年である。だが、半分は選科生であった。本科生のなかにも半分は高師の
 卒業生がまじっていた。・・僕は選科生であるから、一隅に小さくなって
 いるほかはなかった。自分は、学問には自信があったから、選科生たる
 ことに絶えず屈辱を感じていた。」

 どうやら選科生というのは、旧制高校を普通に卒業してから入学試験を
受けてはいるのとは違うらしいことはわかるのですが、入学してからも
なにか違った取り扱いがあるようですが、菊池寛は選科の卒業ということで、
区分をされるのでしょうか。
 京大選科入学というと、林達夫さんもそうでありまして、旧制一高を
なんらかの事情で退学してから、進学するとすれば、こういう道があったの
ですが、「選科生たることに絶えず屈辱」というのは、林達夫さんにも
あったのでしょうか。