気まぐれな読書4

 本日も富士川義之さんの「きまぐれな読書」にある「ロバート・リンド」に
ついてのエッセイの続きを紹介します。
「 リンドさんはアイルランドの熱烈なナショナリストだった。・・
 アイルランド人としての彼は英国から受けた迫害と軽蔑を常に意識しながら
 生活していた。・・彼は過激な暴力闘争を否認し、つねに消極的な抵抗を
 主張する穏健派であった。」

 アイルランド闘争というのは、宗教戦争でもあるのでしょうが、小生には
よく理解のできないものであります。そのむかしにみた「刑事コロンボ」(?)
などにも、アメリカにあって、MRAを支援する団体のことが登場したりしますが、
東海岸にはアイルランド系のカトリック家族が多く移住しているということの
背景がわからなくては、このドラマを楽しめないようにも思えたのです。

「 J・Pプリーストリーはかって、リンドにとって『寛容はひとつの情熱である』と
 指摘した。おそらく彼は、貴重な宝石のように輝いている寛容を遠い昔に発見
したのだろう。たしかに彼はそれを発見し、不寛容の国である北アイルランド
越えて、上機嫌を説くために気楽なイングランドへとやってきたのだ。 
 リンドのエッセイに基調をなすのは、この『寛容』を大切にする姿勢である。
それは『心優しい寛容』とも『控えめなゆかしさ』ともいうべき姿勢である。
このようなリベラルな姿勢をあまりにも微温すぎる、弱者のたわごととして軽視
したり、退けたり、抑圧してきたのが、この三四十年のあいだの主潮ではなか
っただろうか。その結果、現代では不寛容がのさばる危機的状況が世界のいたる
ところで発生しているのではあるまいか。」

 リンドが英国のエッセイのアンソロジーに収録されなくなって、読まれなく
なった背景には、英国の伝統的なエッセイの手法である「逆説好きといい、
ユーモラスな調子といい、自然嗜好といい、優雅な怠惰といい、平凡ななかに
非凡を見いだす才能といい、平易で簡潔な力強い文体」が顧みられることが
なくなった時代のこのみの変化があると指摘します。
 そのうえで、富士川さんは、次のように結語するのでありました。
「身近なこと、平凡なことのなかに、何か非凡な、キラリと光るものを見つけ、
それを軽妙なエッセイに仕上げた英国の名エッセイストたち。リベラルな寛容な
精神を拠り所にしていた彼らのパーソナルエッセイの多くを、忘れられたままに
しておいてよいとは思えない。」