気まぐれな読書3

 本日に岩波「図書」2月号が届きましたが、これをぱらぱらと開いても
このブログの題材になりそうなものを見いだすことができませんでした。
そんなわけで、材料を求めて、富士川義之さんの「きまぐれな読書」を
手にしましたら、そこに「空豆の教訓」(忘れられたあるエッセイスト)と
いう文章がありました。これは「図書」02年10月号に掲載された
ものだそうですが、たぶん、そのときに読んでいると思うのですが、
まったく記憶にのこっていないことです。
 この文章は、「神保町の洋書店でいまは忘れられて久しいあるエッセイストの
本が偶然目にとまった。・・長いあいだその名を見かけることすらなかった
エッセイストはロバート・リンドというなつかしい名前である。」という
書き出しです。 
 もちろん、小生はリンドというエッセイストにまったくのなじみがない
のでありましたが、英語のよくできるそのむかしの学生は、どこかの時点で
手にするさだめとなっていたようです。
「 私がリンドのエッセイを最初に読んだというよりもむしろ、読まされた
のは、高校生のときである。英語の課外授業に『リンド随筆選』(研究社
小英文叢書)が使用されたのだった。当時はモームラッセルやオーウェル
どとともに、リンドは大学受験用のみならず、大学の教養英語のテクストと
して用いられることが少なくなかった。」
 ここにある「研究社小英文叢書」というのは、英語が不得手であっても
手にせざるを得ないようなものであったようです。小生のところにも、この
シリーズの一冊が残っているのですが、64年にでた叢書の巻末にある既刊
リストのなかには、この「リンド随筆選」は見あたりません。
「 リンドが大学生用のテクストとしてさかんに読まれていた頃、英文学は
大人の文学とか叡知の文学というようなことが折りにふれて言われていた。
リンドがそうした一種特権的とも見えるエッセイストとして読まれていること
は明らかだった。別に子細あってのことではないが、大人の文学とか叡知の文学
というような活字をみるたび、わたしはわけもなく軽いいらだちや反発を感じた
ものである。」
 この話は、中年となってリンドを再読すると愉しんで読むことが出来たと
続くのですが、これは明日に。