年をまたいで読んでいた「D・ロッジ自伝」で印象に残るのはイギリスの権
威ある文学賞をめぐる回顧のところです。たぶん英国の大物小説家でありまし
たら、これを受けたいと思わない人はいないのでしょうか。
D・ロッジは、1984年に作品がブッカー賞の最終候補作となり、そのあと
には選考委員長になるのですが、それはおいておくとして、ロッジが紹介する
ブッカー賞のことであります。
「イギリス、アイルランド、英連邦の作家による、年間の最優秀作品に与えら
れるブッカー賞ができたのは、一般にジョナサン・ケイプ社の編集主任トム・
マシュラーの功績だとされている。彼は新しい純文学の小説に対する大衆の関
心を惹くため、二十世紀の初頭からあるフランスの権威あるゴンクール賞のよ
うなものが英国にもあるべきだと提案した。」
この提案を受けて大会社をスポンサーに賞はスタートするのですが、選考委
員が毎年変わるというのがブッカー賞の特徴となります。
「ブッカー賞の選考委員は受賞者が発表される数週間前に、六人の最終候補を
発表した。受賞できなかった候補も全員、自作が宣伝されて得をするとともに、
少額の賞金を受け取った。ブッカー賞は発足当時はおぼつかなかったが、1970
年のあいだに、英国の文学界の一つの呼び物として定着した。しかし受賞者を
裕福にし有名にしたのは、1980年代になってからだった。」
「1980年代になってからだ」と書かれているのですが、本当にこの時代に最
終候補作になったものには邦訳がでている作品がたくさんありまして、ロッジ
さんの作品も二度候補となっています。
1984年
アニータ・ブルックナー(『秋のホテル』)
最終候補作:
J・G・バラード(「太陽の帝国」)
ジュリアン・バーンズ(「フロベールの鸚鵡」)
アニター・デサイ(「デリーの詩人」)
ペネロピ・ライヴリー(「ある英国人作家の偽りと沈黙」)
デイヴィッド・ロッジ(「小さな世界」)
1988年
ピーター・ケアリー(『オスカーとルシンダ』)
最終候補作:
ブルース・チャトウィン(「ウッツ男爵 ある蒐集家の物語」)
ペネロピ・フィッツジェラルド( The Beginning of Spring )
デイヴィッド・ロッジ(「素敵な仕事」)
サルマン・ラシュディ(「悪魔の詩」)
マリーナ・ウォーナー( The Lost Father )
このメンバーのなかで受賞するというのは、大変そうでありまして1984年
の場合は、ロッジさんはJ・G・バラード(「太陽の帝国」)が本命であると
思っていたとのことですが、この予想は見事に外れたとありました。
受賞者が決まるまでのあれこれは、このときは候補者として書いていて、
そのあとには、選考委員長としての立場からロッジさんは書いていました。