「私の履歴書」

 「私の履歴書」という連載は、日経の売りのひとつでありましょう。ずいぶんと
長く続いており、これは定期的に単行本となって、そこからさらに文庫本となった
ものもあるのです。
 とりあげられるのは、経済人であったり、職人さんであったり、ある分野において
功なりとげた人たちについての短い自伝という趣であります。
7月には長嶋茂雄さんが登場して、長嶋ファンである友人からは大変楽しみにして
読んでいるが、どうも文章がお行儀よすぎるというか、あの不思議なしゃべり言葉の
語り口とはちがって、違和感をかんじるというものでありました。なにかのテレビを
みたときに、長嶋さんの長男であるひとがでてきて、いま父は「私の履歴書」を
執筆中ですといっていたのですが、あの文章を見る限り、だれかがまとめたとしか
思えないのでした。もうすこし、語り口調をいかしてまとめればいいのにです。
 先月の「森澄雄」さんは俳人でありますし、年齢は重ねていらっしゃいますが、
文章を書いても不思議ではないなと思いましたが、今月の「吉田簑助」さんについては
どうでしょう。
 大阪の文楽人形遣いさんでありますし、しゃべり言葉のところが、とってもよろしい
だけに、このあたりをもっと生かしたら、違ったものになるのになと思いました。
文章となっているところは、次のような文体となります。、
「 私が休んだら、きっとみんなが困るだろうと思った。私の存在を認めさせてやろうと
不遜にも考えて、ある日、誰にも断らずに劇場に行かなかった。」
 これを読んだら、どこかのサラリーマンが書いているのとかわりませんよね。
 文章中の語りのところは、このように書かれています。
「 休んだら、みんな困ると思ったやろう。だれが困るかいアホ、わしが足持ったわい」
 ちなみにこの発言の主は、先代の桐竹勘十郎さんだそうです。
 地の文と発言と、どのように処理するかは、難しいところでありますが、発言のところは
カタカナをつかったりして、雰囲気をだそうとしているのとくらべると、地の文のところに
もっと芸人らしい文体となっていればと、贅沢なことを望むのでありました。
 この文章は、ご本人のものをどなたかがまとめたという思いこみによってかかれて
いるのですが、もしご本人がこのような文章を書くお人でありましたら、ずいぶんと
また、お行儀のよろしい文章であると感じることであります。