石堂淑朗と松山俊太郎ほか

 昨日に届いた「ちくま」5月号の石堂淑朗の連載には、彼の東大
教養学部語学単位の小編成クラスの同級生として種村季弘阿部良雄
松山俊太郎が登場します。
「先日鬼籍の人と化したボードレールの専門家 阿部良雄、知る人ぞ
知るインド哲学の思索家 松山俊太郎と種村をいれてこの4人はクラス
メートでよく一緒に酒を飲んだ。なんとなく馬があったのである。
しかしこの4人、所謂悪友ということでもなかった。うまれ育ち
みな随分かけ離れていた。」

 松山俊太郎という人は、なんとなく正体不明でなぞのインド哲学者と
いう感じで、澁澤龍彦のものなどに登場します。隻腕で着流しが定番で、
容貌魁偉ですから、稲垣足穂のごとくであります。この人は、どうして
隻腕であったのかは、今回の石堂さんの文章を読んでわかりました。
(ネットには、そのことがすでに掲載されていたようですが。)

 学研M文庫からでている「ジャンル別文庫本ベスト1000」という
ものに石堂が登場してノンジャンルのベスト50というのをコメント
つきで寄稿しています。そこではリレーのように種村、松山、阿部の
ことが登場します。阿部さんは、後年に東大教授となるだけに、謹厳
実直という評がついていますが、はちゃめちゃな松山さん、種村さんに
ついては、「私は、松山と種村に振り回されるために東大にはいった
ようなものだった。」とあります。
「昭和26年5月某日、松山の家に招待されてご馳走になった。
食事後、彼の書斎に入ったが、鏡花、未明の数々の初版本、戦前の熊楠
全集、原文のポー全集などが文字通り私の目を撃った。しかし、それら
高価本の多くは神田に突如出現した悪の華初版本のために、わたしや
売られていくわいな、と相成った。・・
 松山が遊びに来いと誘ってくれた。恐怖の書斎がすこし寂しくなって
いた。彼は袱紗に包まれた大判の豪華本をだしてきて悪の華初版なんだと
興奮気味であった。当時の金で十万円だったか二十万円であったか、
無学な私には代わりに消えた未明初版本に未練が残った。」

 ボードレール悪の華」の初版本というのは、いったい日本にどの
くらい存在するのでしょうか。たしか、岩波文庫の翻訳者である
鈴木信太郎は所蔵していたと思いますが、まだ学生のような存在で
あった松山俊太郎が入手できていたとはです。昭和30年頃の十万円と
いうのは、どのくらいの価値であったのでしょう。 
 こうした本も所蔵家が亡くなったあとには、どこかに姿を消すので
ありましょうか。