阪田寛夫短編集(文芸文庫)

 編集者から小説家となった人は珍しくもなしです。新聞記者から転身して
小説家というひともあちこちにいますでしょう。続くマスコミということで
いきますと放送局ということになりますが、阪田寛夫さんは朝日放送の制作
担当でありましたが、昭和26年入社ということですから、ラジオドラマを
やっていたものです。ラジオのドラマを聞くのを楽しみにしていた時代が
あったのでした。小生の小学校低学年までは、バラエティもドラマもラジオが
中心でありました。阪田寛夫がラジオドラマ制作の現場にいたということは、
時代の先端に身を置いていたということです。このときの上司が庄野潤三
あったというのも不思議な縁であります。阪田は、63年2月に朝日放送
退社して、筆一本の生活にはいります。上司である庄野潤三のあとをおっての
ものですが、「土の器」で芥川賞を受けたのは74年となっていますので、
会社をやめて11年が経過しておりました。
 フリーになるというのは、相当にたいへんなことであるのだなと感じますが、
そうした一面については、阪田さんの死後に、彼の次女である「大浦みずき
さんが、婦人公論にかいていました。阪田ファンには必読のものですが、
婦人公論を購読している図書館というのが、意外にすくなくて、すぐに確認が
できないのが残念であります。
 この大浦みずきさんの文章を立ち見して、印象に残っているのは、阪田さんが
文章を書くことができなきて鬱となるところであります。作家にとって鬱という
のは、「死に至る病」のようなものでありますからして。
 3月に刊行された短編集「うるわしきあさも」には、遺稿となった作品も
含めて10作品が収録されています。単行本としては「戦友」からが3篇で
そのほかは「わが町」「土の器」「天山」「それぞれのマリア」「菜の花さくら」
から一篇づつとなっています。
 その昔の文芸文庫でありましたら、一人の作家について複数の巻をあてたり
したのですが、最近は、とってもそこまで余裕がありませんか。もうすこし
たくさんの作品を読んでみたいと思うのでした。 
 作曲家 信時潔の作品「海道東征」を、放送会社にいて再演するために奮闘する
というのが内容です。この作品くらい昭和という時代に翻弄されたものはないと
思うのでした。