追悼 松山俊太郎さん 11

 松山俊太郎さんの専門についてでありますが、カリカチュアした書き方をしている
種村季弘さんの文章から引用です。以前にも引用した「食物漫遊記」からです。
「三十年来付きあっていて、私は彼が何をしているのか知らないのだ。
 大変な学者で、大酒飲みで、空手の達人であること位は知っているが、肝心の学問の
内容がよく分らない。知り合ったばかりの学生時代には、何でも『時間』と『蓮』の
研究をしているとかいうことだった。そのうち『時間』の方はハイデッガー
アインシュタインにもやって出来ないことはなさそうだがらと、これは彼らに任せて、
『蓮』一本に的をしぼったらしい。
 一本にしぼれば話は簡単になりそうなものだが、それは松山という怪人物を知らない
人の言うことだ。尋常一様な研究方法ではない。」
 学生の頃に「蓮」を研究テーマに決めたのですが、その研究手法は「小栗虫太郎」の
校定に見られる偏執的なものであったようです。
「『バルトリハリ』とかいう古サンスクリット語詩はもとより、大蔵経からハイネ詩集
まで、群書類従から南方熊楠全集まで、古今東西、和漢洋、唐天竺の万巻の古書のなか
から『蓮』という語のでてくる章句を手当り次第抜いてカードを作る。この本来の研究
のための基礎作業とかいうものだけで、当人のいうところでは、どうすくなく見積もっ
ても三百年は掛かるのだそうだ。
 何しろ三百年掛りの大研究だから基礎文献も膨大な量になる。古本屋の借金がみるみる
天文学的数字に達した。」
 おもしろおかしく描かれていますが、「蓮」という語のでてくる章句を収集していた
のは事実でしょうし、文献の収集に膨大なお金を投じていたのもそのとおりでありま
しょう。その作業からの成果物というのは、投じた時間からするとわずかなものでしか
ないようです。
「綺想礼讃」の栞に寄せた「安藤礼二」さんの文章には、次のようにありました。
「松山氏のいまだその全貌が明らかにされていないもう一つの巨大な業績、『法華経
蓮』をめぐる研究が立ち上がってくる。『インドを語る』(白順社1988年)や『蓮と
法華経 その精神と形成史を語る』(第三文明社 2000年)、さらには本書の宮沢賢治
論や南方熊楠論でその一部が語られているが、1975年から二年近く雑誌『第三文明』に
連載された『法華経と蓮』を中核とした一連の論考において、松山氏が幻視した『法華
経』成立のヴィジョンは、本書『綺想礼讃』と深く交響し、時間と空間を文字通り超え
でた、前代未聞の文学発生論を形づくるはずである。」

蓮と法華経―その精神と形成史を語る

蓮と法華経―その精神と形成史を語る

 専門のところは、全く当方の分野ではありませんが、宮沢賢治論であればなんとか
読むことができるかもしれませんです。