本日はさがしものを

 本日は押し入れや物置に積み上げられている段ボール箱のなかをあさっていました。
本を段ボール箱にいれたら終わりだよといわれますが、こればかりはどうにもなりま
せん。段ボール箱にいれていっぱいになったところで、デジカメでなかの写真をとっ
てそれを見出しのようにつかっています。あるジャンルのものが一つの箱にはいって
いましたら、わかりやすいのですが、なんの脈絡もなしに詰め込んでしまうと、探し
ものの作業は、相当に大変になります。
 探しものをしていますと目的のものはみつからないことが多く、以前に探してい
て見つからなかったものがでてきたりします。
 本日は、先日に話題としていた後藤明生さんの「小説の快楽」がでてきました。
どうしてこの本が見つからないのかと思っていましたが、いくつ重ねた箱の一番下の
箱にありましたので、なかなかここまで捜索の手が伸びなかったことです。
 本日に段ボールから抜いてきたものに、中尾務さんの個人誌「CABIN」12があります。
2010年9月刊行のものです。
 この号は、手にしたときに中をのぞいているはずですが、これに掲載されている
田村治芳」さんの文章に松山俊太郎さんの名前がでてきました。
この文章が書かれたのは、2009年の暮れ近くでしょうか。がんのために亡くなったの
は、この「CABIN」12号が刊行されて、まもなくの2011年1月1日のことでした。
 田村さんが病院にかかったときに「食道がん」はステージが4aになっていたとの
ことで、入院した大学病院では手術ができず、抗がん剤の効果も期待できないという
状態であったようです。手術、放射線抗がん剤ではない治療を行ってくれるところ
ということで、「帯津三敬病院」に入院することになったとあります。
「入院して、いろんな気功や、太極拳、はり治療、アロマセラピーなどを体験しなが
ら、名誉院長帯津良一先生と最初の面談をしたのが一月二十七日の火曜日、午前八時
十分でした。・・・
 帯津良一さんの本『死を思い、よりよく生きる』(健康人新書)を読んでいて、松山
俊太郎さんが登場してきたので、びっくりしました。実は二人とも東京大学空手部と
いう共通点があったのデシタ。生年は松山さんが昭和五年だから七十九歳。帯津さんは
昭和十一年だから七十三歳。同じ学校の空気は吸ってないナ、そしていまのわたしは、
五十九歳ということにナル。
 松山俊太郎さんに『インドを語る』(白順社)というメッポウ面白い本があって、
その あとがきにかえて、という文章の中に上記の帯津先生が言及したくだりがあり
ます。」

インドを語る

インドを語る

死を思い、よりよく生きる (健康人新書)

死を思い、よりよく生きる (健康人新書)