追悼 松山俊太郎さん 9

 松山俊太郎さんの「綺想礼讃」は546ページからなる本でありますが、一番多くの
ページが割かれているのは小栗虫太郎についてのもので、おおよそ150ページとなって
います。そのなかで教養文庫「小栗傑作選」に寄せた解説が100ページほどです。
(このほかでは、稲垣足穂澁澤龍彦についてのものがボリュームありです。)
 この「小栗傑作選」の編集をするにいたったわけです。
教養文庫版の『小栗虫太郎傑作選』は、最初、種村くんのところに編纂の話がきたん
です。でも彼はそのとき『マゾッホ選集』だったかな、桃源社の仕事をしていたのね。
ご承知のように、桃源社は虫太郎の創作についてはほぼ全作品を集めて復刊した功績の
あるところですから、彼としては桃源社社会思想社の仕事を同時にやるのはいけない
と思ったんでしょう。それで彼の口利きで、私のところに話がきた。こっちはまだまだ
虫太郎なんてやれる段階と思っていなかったし、それに私は時間の密度が普通の人から
見ると十倍から百倍希薄で普通の人が一ヶ月で出来ることが数年かかっちゃうし、一年
でできることは終わらない。」
 これは90年の「幻想文学」に掲載となったインタビュー記事であります。 
 種村さんに持ち込まれたものが松山さんにわたったというのは、結果としては大正解
であったのでしょう。 
 次は、「彷書月刊」に掲載となったインタビューからであります。(引用するどちら
も「綺想礼讃」に収録されています。)
「私が、社会思想社発行の現代教養文庫の『小栗虫太郎傑作選』全五巻の編集を任され
たときも、もちろん『黒死館殺人事件』を一巻にいれましたが、文庫としての制約の
ためと、教養文庫の性格上、読者の中高校生に間違った事実認識をしてもらいたく
なかったために、本文にかなり手をいれてしまったのですが、そういう方法の誤りと
不徹底さが一番多かったのが『黒死館殺人事件』だったので、今でも悔いと自責の念に
さいなまれ続けています。
 本来なら原文のまま載せるべきだたし、スペースさえあれば、正しい記述を同じ頁に
出したかった。だから、どうしても、もう一度、正字正仮名で校訂注解本を出したい
ですね。なんとしても出したい。」
 本文にかなり手をいれてしまったというのは、おだやかではない話です。
幻想文学」のインタビューからです。
「私は虫太郎は天才だと確信しているから、横文字のこと書いてあるの、みんな正しい
んだと思っていたわけですよ。ところがこれは危ないと思って調べてみたら、とんでも
ないデタラメ、虫太郎自体の妄想にいたるまで、奇怪な語句がいっぱいでてくる。
・・・・そういうわけで、単純誤植も合わせると『黒死館』一つに約千箇所のヘンな
ところがあるわけです。それでわたしは”校訂通則”なんてしどろもどろのこと言って、
そのとおりやらないからヘンなものなんですけれど、あれは教養文庫と銘打っている
ように、高校生あたりが最初に読む本になる可能性がある。そうすると西洋の歴史など
に関係する箇所で、最初から間違った知識をインプリントすると、大学の試験に落ちて
しまう可能性も出てくる。それで校定というものからいえばまったく邪道なんだけど、
気がついた間違いは本文を直して、巻末に初出誌・底本との対照表を掲げるという、
ひどい変則行為をやらざるをえなかった。」
 このインタビューでは、ちゃんとした「黒死館」をだすとなると、どういう定価を
つけても三百万円くらいは損をするといっています。この「旧字・旧仮名で、注は別冊
にして、校定を徹底的にする」という松山さんの「黒死館殺人事件」は、日の目を見る
ことはなかったようであります。