本日はさがしものを 2

 田村治芳さんは、ほとんど死を覚悟しての入院生活で、主治医である帯津先生の本を
手にして、それに引用されている松山俊太郎さんの文章を眼にするわけです。
 田村さんは、美学校に通っていたことがあって松山さんのことは、旧知であるようで
す。田村さんは「CABIN」12号に掲載のエッセイ「がんがらがんのがん」で、次のよう
に書いています。
「この本(松山さんの『インドを語る』)は発行の時から、何度か読んでいる筈なんだ
けど、まるっきり忘れておったのデス。やはり、がんにならねばがんに思いがいかな
い。・・・・
 うちにアル『インドを語る』は、田畑満子アテの献呈署名入りなのじゃが、ア、田畑
満子サンはワタシのかみさんデス。署名が、犬山小太郎になってオル。実ハ、松山さん
には自分が犬でアルという理解の方法があって、時には、犬山斬猫軒馬鹿也を名乗るこ
ともアル。」
 松山さんの同級生である阿部良雄さんの本には、「『犬』を以て任ずる男」という
ふうに松山さんがでてくるのですが、自分でも犬山小太郎なんて名乗っていたのであり
ますね。
 松山さんから田畑さんに本がおくられたということは、田村夫人もまた美学校につな
がっていたのでしょうか。
 それはそれとして、帯津医師が引用していた松山さんの文章であります。
「わたしの考えからすれば、とにかく宇宙そのものが虚空の癌であるから、人間なんか、
その果ての果ての、そのまた果ての、もう癌の癌の癌で、がんがらがんのがん、です。
われられは、癌というと、癌にかかるという被害者意識だけだけれど、われわれ自身が
宇宙的な癌の尖兵であるわけです。要するに、すべての存在が癌であるとすると、癌と
いうのもマイナスばかりではなくて、われわれに苦しいとか楽しいとか、そういう実感
を与えてくれるものなんですね。」
 末期がん患者であった田村さんは松山さんの上の文章について、次のとおり記して
います。
「がんについて、これほど気持ち良く、すっぱり言い切ってくれている・・がんにも
ならねえのにがんに思いがいっている松山さんは何者じゃ。」
 この本を書いた時には、松山さんは健康でありましたでしょう。数年前から闘病生活
を過ごしていたのですが、大腸がんであったとのことです。松山さんも死の床にあって、
がんがらがんのがんと思ったことでしょうか。