雨のち晴れ

 4月も中旬となりましたが、お天気がよろしくないと気温もあがらずで

あります。朝には雨が降っていまして気温は6度で、雨があがってお昼には

気温が10度を超えました。お天気が回復したら気分がよくなるということ

で、夕方にはトレーニングに行くことにしました。

 65分くらいみっちりと運動をしていましたら、そこそこ汗がでまして代謝

が良くなったことを実感です。身体もでありますが、頭のほうもすこしは

しゃきっとしたでありましょうか。

 ということで、夕食後に本を手にすることにです。まずは図書館から借りて

きた本であります。

 ちょっと前の新刊でありますが、先日に新着資料の棚にささっていて、あれ

と思って借りてきたものです。

 ほとんど夢ニには、関心もなかったのでありますが、「本の雑誌」の沢野

ひとしさんがずっと書いていたり、昨年の「なんでも鑑定団」で袖井孝子さん

が米国時代に夢ニが描いた油絵をだしていたりして、そんなこともあって、

のぞいてみようと思ったものです。

 著者は日本思想史が専門の大学教員とのことですが、かって岡山大学

教鞭をとっていたときに、岡山出身の夢ニに目がむいたようです。

ちょっとちがった夢ニを見せてくれるのかもしれません。

参考文献のリストをみましたら、ウイリアム・モリスのものもありまして、夢ニは

そういう人であったのかです。

「夢ニは堺利彦をはじめとする平民社の人々や島村抱月グループの影響で、

ウィリアム・モリスの民衆芸術論を学んだ。」

 なるほど、このようなことは全く知らなかったことで。

 2020年に亡くなった著者が、直前まで手を入れていた竹久夢ニについて

の文章を、没後に教えを受けた人たちが編集を行って、世に出したものであ

りまして、いろんな意味で労作といえるものですね。心して読まなくてはです。

vzf12576.hatenablog.com

 

朝鮮半島の話

 このところ、朝鮮半島にかかわる小説などを読んでいるのですが、そんな折に

韓国で総選挙がありまして、結果は野党が優勢で、大統領の与党は少数派に

なるとのことです。

 大統領の支持率は30%台とのことですが、このくらいの支持率でありました

ら、あっという間にねじれてしまうというのが韓国なのでありますね。

日本の政権党の人たちは、支持率が10%台になっても、総選挙をしたとしても

ねじれが起こったりはしないので、ありがたいことであります。日本の人たちは

すっかり諦めてしまって、怒らなくなっているのかもしれません。

 韓国の保守と革新では、かっての日本統治下でのあれこれの解決策に対して、

認識がことなるのでありますね。保守系は日本に理解を示し、革新はいまも許す

ことができないであります。

 こちらはとっくに忘れてしまっているのに、いつまでもしつこいことでとも思いま

すが、日本でも、それに類した話はありますでしょうよ。会津は長州に親しみを感じ

ないというような。

 それはさて、先日にヤン・ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」を読んでいましたら、

そのあとにヤン・ヨンヒさんが出演するTVドキュメントの再放送がありまして、

それを録画することにです。

 「スープとイデオロギー」という映画に関連してのものでした。この映画はいまだ

に見ることができていないのですが、劇映画である「家族のくに」で描かれた

家族のその後の話であります。

 この「スープとイデオロギー」では、ヤン・ヨンヒさんの済州島生まれの母が、4・3

事件の遭遇したことが取り上げられるのですが、これは朝鮮戦争前夜のことにな

ります。

 金石範さんが「火山島」という大長編で描いて、当方は知るようになった朝鮮

半島の現実です。結局は、その後に朝鮮半島は休戦ラインで二分割されて、ほぼ

固定されているのですが、日本に居住する朝鮮半島出身者は、北か南か、いずれ

かの国を選ぶことになってしまったのですね。

 ヤン・ヨンヒさんの両親は熱心な朝鮮総連の活動家でありまして、両親は子ども

たちを立派な愛国者に育てようと民族教育を施すことになります。

 これまたちょっと前に再放送されたTVドキュメントで、大阪朝鮮第初級学校の

廃校までの過程を追った番組がありまして、二世、三世となるにしたがって意識の

変化や変わらないところが映し出されました。(御真影が外された壁がうつしださ

れていて、そこだけ壁の色が違っていました。)

 この初級学校はヤン・ヨンヒさんが通ったところではないでしょうか。

 ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」には修学旅行で北朝鮮へと行く話がでてく

るのですが、総連エリートであっても、北朝鮮へと帰っていった家族との面会には

制限が伴うことがわかりました。

 まして、北朝鮮の体制に批判的でありましたらです。

 その逆もありで、在日朝鮮人北朝鮮を支持していましたら大韓民国には、入

国することができかったのですね。

 金達寿さんに「対馬まで」という短編がありまして、この作品は生まれ故郷に

足を踏み入れることができない北朝鮮籍の仲間で、晴れた日には朝鮮が見られる

という対馬まで渡るという話です。

 金達寿さんは、晩年の1996年に韓国を訪問して故郷に立つのですが、その時

かっての仲間たちから大バッシングを受けることになりました。変わらない北朝鮮

と変わった大韓民国であります。

 総連エリートでありましたヤン・ヨンヒさんの母も晩年には、済州島に渡ってい

ます。変わった大韓民国は北に融和で、日本に厳しいということになっていますが、

内部にものすごい矛盾を抱えているのでしょうが、韓国にはものすごい熱量を

感じることです。

 かっての日本にも、このような時代があったのだよなと、思うことで。

 

もすこし読めているはずが

 先月23日くらいからガルシア・マルケス百年の孤独」を読み始めまして、何

週かありましたら、読めるのではないかと思っていましたが、2週間ほども経過した

というのに、いまだ100ページ(最初の版でありますので、二段組ですが)に到達

せずです。これはいけませんですね。

 面白くないかというと、そんなことはなくて、あちこちに爆笑ねたや、エロチックな

話題が仕込まれているのでありますね。

 その昔に読んだときにも最初のうちにモタモタしたことを思いだしましたです。

次から次へと同じような名前の登場人物がでてきて、頭が混乱してくると、面白さ

がますのでありましたが、さて、それはどのあたりからであったでしょう。

「家のなかは子供であふれていた。ウルスラがサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダを、

その長女や、アルカディオの銃殺後五ヶ月めに生まれたふたごといっしょに引き

取っていたからだ。故人の遺志を無視して、彼女は女の子にレメディオスという

名前をつけた。『アルカディオも、きっとそのつもりだったのよ』と彼女は主張した。

ウルスラという名前をつけるのはやめましょう。この名前を持った者は苦労ばか

りするわ』双生児にはそれぞれホセ・アルカディア・セグンド、アウレリャーノ・

セグンドという名前が与えられた。」

 ウルスラさんは、ホセ・アルカディオ・ブエンディーアの細君でありますが、夫が

銃殺されてからも紛らわしい名前が頻繁にでてくるのでありますね。

当方が今手にしている本には、人名一覧などはついておりませんので、頭は混乱

することですが、この作品は混乱するように作られているのですから、その流れに

身を委ねるしかないのでありますね。

 ということで、もうすこし読んでみることにいたしましょう。

 

思わず検索しそうになることで

 WEBみすずで今月より松本俊彦さんの連載が始まったとありまして、早速に

見てみることにです。松本俊彦さんのことを知ったのは、月刊「みすず」に連載

されていたエッセイを読んだことによってですが、今回のはその続編でタイトルは

誰がために医師はいる・続1 となっていました。

 今回のタイトルは「夜のフェラーリ、不思議な往診」というものです。いかにも

わけありそうなものでして、フェラーリとはあのフェラーリであるのかと、興味を

持って読むことにです。

 薬物依存治療を専門とする精神科医の松本さんが、大御所の老精神科医から

の依頼を受けて、著名人の薬物異存のカウンセリングを行う話でありますが、相手

が相手なものですから、極秘で自宅に訪問することになりです。

 この自宅訪問には、駅から迎えの車にのって、しかも途中で著名人の妻が運転

の車に乗り換え、さらに迂回しながら自宅にむかうという念の入れ方で、まるで

スパイ小説のごとくです。

 それもこれも、著名人にいろいろな噂がたっていて、それこそ暴露系の写真雑誌

などから狙われていたからでありましょう。

 彼に限らず薬物依存関係の著名人に松本さんは、医師として関わりがあった

ようで、裁判の情状証人として法廷にもたったことがあるといいます。

著名人が薬物使用などで逮捕された時の騒ぎのことを、松本さんは、ここで次の

ように書いています。

「社会はその著名人を生け贄にして、一連の逮捕劇をエンターテインメントとして

消費するのだ。そして、その裏で捜査機関は巧妙に自らのプレゼンスを誇示し、

メディアはメディアで、えげつなく視聴率や雑誌売り上げ部数を稼いでいる。

 実際、著名人が逮捕されるたびに、世の中はお祭り騒ぎとなる。以前、一度だけ

私は、ある著名人の情状証人として法廷に立ったことがある。その際、傍聴席の

すさまじい混雑もさることながら、何より驚いたのは、著名人の発言を逐一報道す

べく、公判中、何人もの記者がめまぐるしく法廷を出入りしていたことだ。

裁判終了後は、詰めかけた報道陣に通常の出入り口が塞がれ、やむなく裁判所

職員の案内で、秘密の地下通路を使って脱出しなければならなかった。」

 当方は、こうしたことを話題にする番組を見ることはないのでありますが、どう

して、このような番組が受け入れられるのかと思うことです。(そういえば、「日本

蒙昧前史」でも、こうした取材が話題となっていました。)

 気になるフェラーリは、松本さんの文章の最後のところで12気筒のエンジン音を

響かせるのですが、さてはて、この著名人のことが気になることです。

 検索するまでもないかなです。  

我慢はしないことに

 その昔は我慢、ガマンでありましたですが、ここのところ同年代の人の訃報を

受けることがあって、彼らの無念を思ったりするとき、あまりガマンをするのは、

いかがなものかと思うことです。

 とはいっても、当方の身の丈にあったプチ贅沢でありまして、どちらにしても

必要なもので買い換えたりするのであれば、ちょっと前倒しで買ってしまおうか

というくらいの話です。

 ということで先月に購入したのが、4K放送を受信できるTVでありました。

これまでのTVは、2010年頃にアナログ放送が終了するということで、助成金

もらえると買ったものでありました。あの頃は、日本製の液晶パネルは絶好調で

ありまして、TVには亀山モデルというステッカーが貼られていました。

 今年になるまで、そのステッカーは剥がさずについていたのですが、まさか

それからまもなくその会社がたち行かなくなるとは思ってもみなかったことです。

 昨年12月にNHKBSのチャンネルが整理されて、これまでのBS1、BSPに

くわえてBS4Kが、BSとBS4Kのニ波となって、当方は、その意味するところが

わかっていなかったのですが、この4月からは当方が好んで見ている番組は

BS4Kで、まず放送して、それから一週遅れでBSで放送するという編成方針が

はっきりとしてきました。

 カバーズとか、こころ旅という番組がそうでありまして、これはさからっても

どうにもなりません。これまでのTVは見られるのでありますが、4K対応では

ありませんでしたので、思い切って更新することにしたわけです。

 おかげで新聞のテレビ欄をみても、身悶えすることもなくなりましたので、

精神衛生にはよいことであったかもしれません。

最近のTVの平均的な耐用年数はどのくらいかと思いますが、15年くらいは

大丈夫としましたら、その時には、当方の年齢は80代後半となっていること

て、それまでは元気でTVを見続けなくてはいけませんですね。

 ガマンしないで、本をどんどん買うとか、新しい車も買っちゃうよなんて、

話には逆立ちしてもなりませんので、このくらいでよろしいのか。

 おかげで、先日はアイナ・ジ・エンドさんが初めて登場したカバーズの

記念すべき生放送を、リアルタイムで視聴することができ、明日から始まる

火野正平さんのこころ旅も、BSに先んじて楽しむことになりです。

 ガマンしないといえば、推しのライブ参戦でありますが、あと数日後にある

ライブは申し込むこともできずでありまして、これは残念でした。次回はガマン

しないことにしましょう。(こちらはego-rappinであります。)


www.youtube.com

 

 

黄色い車と「月と不死」

 当方の車は2017年が最初の登録で、それから7年となり、今月が車検であり

ます。最近の車はコンピュータのようなもので制御していることもあって、ずっと

点検、車検はディーラーにお願いをしております。

 何ヶ月か前に電話がありまして、今年の車検はいつ実施しましょうかとの話で、

その時に代車は必要ですが、代車が軽自動車でもよろしいですかと聞かれました。

当方は4月上旬に、代車は軽自動車でもけっこうですよと答えて、本日に車検の

ために車をディーラーに持って行き、代車を借りて戻ってくることにです。

 この代車が、普段の当方の生活スタイルからすれば思っても見ない黄色の車で

ありまして、気分が変わってよろしいことです。(とはいっても、軽自動車の運転は

慣れていないので、駐車するためにバックするときなど、とまどってしまうことです。)

 高齢者になりましたら、すこし派手な色の車がよろしいのかもしれません。7年前

に今の車にした時には、無難な色にしてしまいました。当方と同じ車種の赤い車に

枯葉マークをつけて運転している方がいらして、なんとなく格好よく見えることです。

代車の黄色い軽自動車 初めて運転する黄色の車

 夜にTVで坂本龍一さんの番組があることは知っておりましたが、ちょっとこれは

見るのが辛いなと思ってスルーしようと思っていました。

家人がたまたまテレビを見ていいて、その番組にチャンネルをあわせてしまった時

に、坂本龍一が最後の日々に読んでいた本というのが映し出されました。

本の整理などもされていたりで、おじいさんの本とかいって、本をてにしていたの

ですが、そんな坂本さんの蔵書のことが気になってしまって、結局、番組の終わり

まで見てしまうことになりました。

 坂本さんの書かれたものを読んだら、この本についても何か書き残しているの

かもしれませんが、当方が見て目がとまったのは、平凡社東洋文庫の「月と不死」

でありました。

 坂本さんは、どうして「月と不死」であったのでしょう。そういえば、晩年の著作に

は「あと何回満月を見るだろう」というのがありましたが、これなどは、「月と不死」

に関わりがあるのかな。

 これはちょっと坂本さんの本を見てみなくてはです。

 

 

 

本日の読書欄に

 土曜日の朝は目が覚めましたら、起き出して新聞を取りに行くことになりです。

お楽しみは読書欄でありまして、最近はあまりヒットしないのでありますが、それ

でも本についての話題を、新聞でめにできるだけよろしです。

 本日に目についた書評は、すこし大きなスペースを与えられているもので、

中公文庫「戦争と平和 田中美知太郎 政治・哲学論集」であります。

 評者は、御厨貴さんで、すこし引用。

「私も最後のニ論文は同時代に読んだ記憶がある。当時右派論壇人の一人と目さ

れた田中の論文は、他の単純なる右翼的論者とは異なり、あくまでも考え抜いた

思慮深さに満ちていた。『保守と革新』なる小論は、今なおその射程距離の長さに

うなるものがある。だが、同時に、あつかわれる事例がジャーナリスティックで通俗的

であり、誤解を生じかねない箇所がみられる。それを猪木はみごとに『ただ田中の

賢慮に満ちた平明な文章は、ある種の『外見上の単純さ』をもつと指摘している。」

 購読している新聞で「田中美知太郎」さんのことが、このように取り上げられる

のを見るだけでも、時代は変わったと思うことです。この新聞では最近は不定

佐伯啓思さんの文章が掲載されますが、佐伯さんは京都の学者さんで、その

スタイルは田中美知太郎さんからつながるところがあるように思います。

 当方も、いまから三十年ほど前でありましたら、佐伯さんのものなどを読まずに

ほっておいたでしょう。やはり1989年以降の世界の変化、そして中国やロシアの

有り様や日本の一強政治などという理解しにくい状況に、ちょっと違った角度か

らの見方が欲しくなったのでありましょう。

 そうした時に浮かび上がってくるのが、かってまったく論外でありました右派の

論客ということになるようです。先日もだれかが(それも御厨さんであったのかな)

高坂正堯さんのかって発言が、現代の状況を見事に見通しているなんてことを

書いていて、勝ち負けではありませんが、現実主義者といわれた論者たちのしぶ

とさを痛感することです。

 この時代は、理想を語ったりしますと、お花畑と揶揄されたりしますが、それで

もオキュパイドジャパン生まれの当方は、現実主義には与することができないの

でありますよ。

 でも田中さんの文庫本をどこかで手にしてみることにしましょう。