訃報 ジョン・バース

 昨日の新聞を見ていましたら、USAの作家ジョン・バースの訃報が報じられて

いました。93歳とのこと。

「実験的な作風のポストモダン文学を代表する作家として知られた。主な作品に

『酔いどれ草の仲買人』『やぎ少年ジャイルズ』など」とありました。

 代表作の一つ「酔いどれ草の仲買人」の邦訳がでたのは1979年とありました。

当時かなり新しいものを収録した「世界の文学」という集英社のシリーズの2冊と

してでした。

 二段組で文字がぎっしりつまっていて、読みにくいことこの上なしでありましたが、

これが不思議に読むことができて、面白かったのですね。(といってもそれから読み

直す機会はないのですが)

 そんなわけで、それからジョン・バースの邦訳がでると買ったのですが、これが

なかなか読むことができずに、手元にどんと未読本がたまってしまうことにです。

今となっては、「酔いどれ草の仲買人」が読めたことも忘れてしまいそうであります

が、時々に思いだしたように、この場でジョン・バースのことを話題にしておりました

です。

 一番最初に話題にしたのは2008年のことで、古い「マリ・クレール」に掲載の

高橋源一郎さんと浅田彰さんの対談を紹介しているのですが、その対談で、

高橋源一郎さんが文庫化してほしいものとして、バースの作品をあげていまし

た。

「 そういえば、新潮社版のドイッチャー『トロツキー伝』全三冊なんて大昔から

絶版なんだけれども、あれも文庫化してほしいね。ジョン・バースの『酔いどれ草の

仲買人』も集英社文庫にいれてくれないかなあ。日本は翻訳大国だなんていわれ

ているけど、現代文学にかんしてはほとんどゼロにちかいんじゃな。絶版ばかりで。」

 本日は追悼の意味も含めて、何かジョン・バースの作品を読んでやりましょうと

探したのですが、一番つまみ読みできそうな「金曜日の本」がなくて、「やぎ少年

ジャイルズ」がでてきたので、これをほんのすこし読むことにしましょう。

町の本屋かな

 図書館から「町の本屋という物語」という本を借りてきました。

 惜しまれながら昨年4月に閉店した鳥取市にあった定有堂書店の店主が

書いた文章を収録したものとなります。1948年生まれの方が、1980年に

移住した鳥取市で新規で開業した書店ですが、いまから40年も前のことで、

しかも鳥取市ですから、セレクトショップなんて洒落たものではなく、町の本屋

としてのスタートです。

 この頃から町の本屋さんの経営はどんどんと大変になっていったはずであ

りますが、そうした時代に新規で参入したというのが珍しいことです。

 1980年頃といえば、あちこちの町で駅前再開発などがあって、そこにデパート

とか大手スーパーが入ってきて、それまで町の小さなお店が太刀打ちできなく

なった時代ですね。

 当方の仕事場にも、結婚した連れ合いが町の本屋の娘で、そっちの家業を

継ぐために、安定しているといわれる仕事を辞めた人がいました。町中心部の

本屋ではなく、あれでやっていけるのかなと思っていましたら、定期の雑誌等と

注文を受けた本の配達、教科書販売と学校や図書館納本などでなんとかやって

いけるとのことでありました。

 その本屋さんは、その頃が一番良くて、今も店は残っていますが、最近はどう

なっているのでありましょうか。店主が、あまり仕事熱心でないこともありまして、

残念ながら付き合いはなくなってしまいました。

 1980年頃に、この町にあった本屋さんは、ほぼほぼ創業者から二代目に

変わっていく頃でしたが、この町にもちょっと大きな資本の本屋さんが進出して

きて、そうした本屋も長続きはしなかったのですが、次から次へと新しい店の

進出があったことで、町の本屋さんは息の根を止められてしまいましたです。

 当方が足を運んでいる本屋さんは、本店は昔からの町の本屋で、本と文房具

を販売していて、当方の行きつけはスーパーの入っている建物の一角にある

支店となります。

 こういう店が姿を消したら、町が消えてしまうと思うのでありますが、今はそう

思わない人のほうが多くなっていって、それでシャッター通りが増えるのですね。

 

 

 

やっとこ節談説教を

 あしかけ3ヶ月にわたって図書館から借り続けている本でありますが、

これはほとんど読むことができていなくて、いくらなんでもそれはないよなと

思うことです。

 ページを開くとなんとなく読むことができそうなのですが、なかなか中に

はいっていくことができずです。これで駄目であれば、図書館に返すしかな

いかなと、本日はつまみ読みを敢行で、はじめにに目を通した後は、一番

興味を感じた節談説教について書いてあるところを読んでみることにです。

「節談説教とは、江戸時代の浄土真宗に発達した独特な節を伴う説教で

ある。節談説教の先行研究については、関山和夫による一連の研究が挙げ

られる。関山自身によって洗練されていった定義の一つを紹介しよう。

 節談説教とは、ことばに節(抑揚)をつけ、洗練された美声とゼスチャーを

もって演技的表出をとりながら、聴衆の感覚に訴える詩的、劇的な『情念

の説教』をいう。」

 仏教の法話を節をつけて語るのでありますね。これは江戸時代に発達した

のですが、明治時代にはいると徐々に衰退したとありです。

「上部の学僧たちが檀家制度を離れて近代的な教義に沿った発展を望んだ

ことにあるが、それだけでなく、映画やラジオなどの娯楽の普及によって大正

時代には廃れ初め、戦後は説教を聞く必要が失われたことにもある。」

 このあたりは関山和夫さんの説を、著者が引用しているところの孫引きと

いうことになりますが、これは鈴木聖子さんの「掬われる声、語られる芸」と

いう本にあるものです。

 節談説教とはどんなものかと、興味はあったのですが、なかなかとっかかり

がなくて、本日にやっと鈴木聖子さんの本の、それに関するところを流し読み

して、それにあわせて動画で、現在も節談説教を行っている僧の語りを目に

することにです。

 子どもの頃に、父親がラジオから録音した「歌入り観音経」という浪曲

聞いたことを思いだすのですが、節をつけて語られると、より気持ちがのる

ようであります。

www.youtube.com

鈴木道子さんといえば

 先日に届いた朝日新聞出版「1冊の本」を見ていましたら、保阪正康さん      

が「歴史に刻まれる、家族の執念」というタイトルで、「祖父・鈴木貫太郎 孫

娘が見た、終戦首相の素顔」という本を紹介しています。著者は、鈴木道子

さんという女性。

 貫太郎首相の孫の鈴木道子さんといえば、著名な音楽評論家ではありま

せんか。久しぶりで、この方の名前を目にしましたが、当方が中学生の頃には

音楽番組をもっていらして、ラジオ放送でお声を耳にしておりました。

(とっても、耳に心地の良い声と話し方で、ファンも多かったはずです。)

いかにも良家のご令嬢という感じでありまして、この方は鈴木貫太郎首相の

お孫さんとして紹介されることもありました。

 保阪さんの紹介には、この方が著名な音楽評論家ということがでてこない

ので、ちょっとこれを付け加えてみました。

 この本を紹介する保阪さんの書き出しは、次のようになります。

「もう20年ほど前になるだろうか、ある大学関係の市民向け昭和史講座で一人

の女性高齢者(70代)が講演の後に近づいてきて、『昭和20年8月15日』の

敗戦時の首相について、巷間誤解や曲解があるようだがと質された。どのような

ことか、という私の問いに、その首相の真意は『戦争を終わらせることが第一であ

り、そのための道筋で戦争継続の言も口にしなければならなかった』ことを理解

してほしいというものであった。私もそう理解していることを史実をもとに解説して

いった。『鈴木貫太郎さんの関係者ですか』と尋ねると、『はい、孫です』と答える。

それが鈴木道子さんとの出会いであった。」

 鈴木道子さんを検索してみましたら、1931年のお生まれということがわかりま

した。今も健在でありまして、なんと鈴木道子さんに話を聞くというユーチューブ

がありました。

 四回もののようで、二時間くらいですが、今回の保阪さんの紹介文での一番の

収穫は、この動画を目にすることができたことでしょうか。当方が中学生の頃の

音楽業界の話となります。

 以下に貼り付けたのは、その二回目でありますが、鈴木道子さんは、このよう

な人でありますね。

www.youtube.com

エイプリルフールではないね

 4月に入って新しい出発があったようであります。

 エレカシファンクラブ会員である家人のところには圧着はがきが届きまして、

エレファントカシマシとソロ活動の宮本浩次さんは、これまで所属していた会社

との契約満了に伴い、自分たちの会社を立ち上げたとの内容でありました。

本日はネットでの情報も解禁になったようで、これまでとどこがどうかわるのか

わかりませんが、家人がエレカシ宮本浩次さんにはまったのは、ここ3年くらい

でありますので、これまでの会社 アミューズのプロモーションのおかげであり

ますね。 

 家人は、例年6月に開催されているコンサートはどうなるのであるのかと気を

もんでおりますが、これはそのうち告知されるのでありましょう。

 本日に告知があったのは、新潮文庫百年の孤独」の発売日でありますね。

新潮文庫オフィシャルは、まだチェックできていないのですが、これを転載して

いるものをいくつか目にしました。いよいよ発売日が決まったか。

大方の予想通り(というか、当方の予想の通りか)に、6月ということで、その

日付は26日ということです。6月といえば、当方は結婚記念日でありまして、

その翌日が発売日となりましたか。

 当方のところは発売日から3日くらいは遅れて本が並びますが、それでも6月

中には手にできそうでありますね。

 文庫は672ページで、定価は1375円(税込)とありました。さすがに新潮文庫

でありまして、この内容で1375円というのはお安いことであります。

 当方が現在読み直している元版(1972年5月10日刊)の価格は950円であ

りましたから、50年経過しているのに、この値段は安いのでありましょう。

 数日前から読んでいるこの元版は300ページほどでありますが、今のところは

50ページあたりですが、このスローペースでありましても、6月までには悠々で

読み終えることができそうです。今回読んだら何度目になるのでありましょう。

なんといっても、当方のオールタイムベスト3の一冊でありますからね。

百年の孤独 鼓 直訳 新潮社 1972年5月初版

明日であれば嘘になるか

 この国では三月末で会計年度が終わりとなりますので、明日からは新年度と

いうことで、学校では入学式があったり、TV番組の編成替が行われるよう

です。

 この国で暮らしていると、これは至って理にかなっているようにも思いますが、

数年前には、大学の新学期は米国などにあわせて秋にしたほうが、良い人材を

確保しやすいのではという声があがりましたです。

 なんといっても、4月1日はエイプリルフールでありますからね。そんなことを

思いながら本日を過ごしていましたら、WEBのニュースに、これは嘘であって

ほしいなと思うものが、いくつか目に入りました。

 まずは訃報でありますが、船越桂さんが亡くなったとありました。72歳とのこと

で、生年は当方と同じであります。肺がんとありました。お父上のことを考えまし

たら、まだまだこれからでありましたでしょう。

 今から20年ほど前に、旭川市で船越桂さんの展覧会がありまして、それを

見物にいったことがありました。ちょうどその頃に入手した桂さんの作品集を

持参したのですが、会場から移動して船越父の作品が常設されている中原

悌二郎記念彫刻美術館で見物をしていましたら、たまたまそこに桂さんが

現れまして、ラッキーなことに当方は持参の作品集にサインをしてもらうこと

ができました。

2003年9月6日 旭川中原悌二郎記念彫刻美術館 船越桂サイン

 立派な父親と同じ道に進むというのはよほど大変なことでありまして、相当な

覚悟がなくてはできないことです。どんなになっても、父親と比べられるわけです

から、自分のスタイルを確立するまでに苦しんだことでしょう。

 この作品集には、製作中の写真なども掲載されていまして、それを見ましたら、

くわえタバコで写っているものもあって、この習慣が続いていたとしたら、今回の

死因につながったとしても不思議ではありませんです。

 そういえば、今年に入って送っていただいたカタログに桂さんのドローイングが

掲載されていました。価格はお問い合わせくださいでしたが、もちろん問い合わせ

ることはなしで終わりました。

 同年に生まれた方の訃報というのは、哀しいものであります。

 合掌

カタログ掲載の船越桂ドローイング 

 

昨日の本屋でのこと

 昨日の行きつけの本屋で買った本のことを話題にしようと思っていたのです

が、その話にはまったくならずでありました。

 久しぶりの行きつけの本屋でしたが、この時期は高等学校の教科書扱いが

前面にでておりまして、昨日にはさすがに購入に来ていた高校生はいませんで

した。地元の書店にとって、教科書販売の手数料は貴重な収入源なのであり

ましょうが、ほんと本屋さんはたいへんです。

 昨日に手にした本と買った本であります。

 最近は文庫本の価格があがっておりまして、当方が買おうかなと思うもの

は部数が少ないこともあって、定価が千円以下ということはないことです。

 最近の中公文庫は、相変わらずで気になるものを出しています。金井美恵子

さんのものを続けて二冊ですが、これは元版を持っていることもあって、手には

したものの、買うことができませんでした。

 中公文庫といえば、これもありました。

 なかなかこのレベルの文庫は買うことができなくなりました。

 買うことのできた文庫本は、文庫といえば、このくらいの値段だよねというもの

でした。新潮文庫でしたが、新潮のものは昔ながらの価格帯というか、あまりそそ

るものがないのも現実です。

 織田作之助の文庫がでれば、まずは購入しようと思っていますが、いまはどの

くらい流通しているのでしょうね。岩波文庫とか角川などもあわせたら、ほぼ代表

作は読むことができるのでしょう。

 大阪に遊びにいきますと、宿から近いところに織田作之助にゆかりの地がある

こともありまして、織田作を読みたくなるのですね。

 そういえば、今年の織田作之助賞は、大阪にはまるで縁もゆかりもない乗代雄

介さんの「それは誠」でありました。今月いっぱいでなくなる新聞夕刊に受賞式

での乗代さんのあいさつが紹介されていまして、そこには「歩くのが好きで、それを

小説に生かしているつもりです」とありました。そういえば、このところの何作かは

すべて、歩く小説でありましたね。