震災の日

 このブログを始めてから、いくつもの大きな地震が発生したことです。

なかには北海道全体が停電になってしまったというのもあって、それでは隣町で

多くの人が亡くなったりもしたのですが、いろんな意味で2011年3月11日の地震

は強く記憶に残っています。

 これからもこれを超えるような体験をすることがあるだろうかと思うことです。

 何よりも当方がこの地震に遭遇した状況が印象深いものでありましたので、

そのことも影響しているでしょうか。ほぼこの地震に伴う混乱のなかで、当方は

三十数年つとめた職場を定年退職することになりました。

 それから十三年が経過です。被災地は復興事業のおかげで日常が戻ってきて

いるようですが、人は帰ってきているのでしょうか。

 能登半島を襲った地震もそうなりそうでありますが、過疎地は大地震にあうと、

人口減少に拍車がかかるようです。

 不便であっても、しずかで心ゆたかに過ごすことのできた暮らしを破壊する地震

は避けようがないのでありましょうか。

 

本日は初日で

 3月も半ば近くになって、日差しが強くなってきていることで、日中はストーブ

を消していても過ごすことができるようになりました。朝にTVで「趣味の演芸」を

見ておりましたら、ブルーデイジーの特集でありました。寄植えにもぴったりの

ブルーディジーで、我が家でも毎年苗をいくつか買って育てているのですが、

春を感じさせる日差しの日に、こうした番組を見ますと、園芸店へと行きたくなる

ことです。もちろんこちらの園芸店は、この時期はいまだ開店休業中であるので

すが。

 本日から相撲大阪場所が始まることになりです。たまには初日の最初の一番

から見物してやりましょうと、朝9時からでのネット中継を見守ることです。

序の口の取り組みでありますが、先日の北海道のニュースで取り上げられてい

旭川の高校を卒業して入門した力士のデビュー戦を見ることができました。

最初の序の口の取り組みから横綱が登場するまでに9時間も楽しむことができ

るのですからありがたいことです。

 この3月には関西へと行く予定をしておりまして、本場所にも足を運びますの

で、それの予習をかねて、しばらくは力士の情報収集を行います。

 本日はヒイキの力士が初日に白星で、これは久しぶりのことであって、白星

スタートでありますと、こちらまで気分があがることです。

 本を読むのは、すこしおろそかになっていまして、佐藤正午さんの小説の再読

で何十ページかと、青島顕さんの「MOCT モスト」を読んでおりました。

「MOCT」はほぼほぼ最後のページにたどりつきましたです。

 最近のところは、まったく不人気のロシアでありますが、戦前戦後においては

そんなことはなくてです。この「MOCT」に登場する「モスクワ放送の日本人」は

ロシアという磁場に引き寄せられた人々でありまして、かってのソ連という国に

惹かれて渡った人がいれば、そこまでの思いもなくてなんとなく渡った人もいる

ことですが、やはり米国に惹かれた人とは違った人生を歩むことにです。

 戦前、戦中派の人たち、そしてソ連が破綻する時期に滞在した人たちと、ほん

とにディープな人間模様です。

 何人も強烈な個性の人がいるのですが、この本の最後のところに登場する

ロシア語学校の先生もすごいことで。このくだりを読んでいたら黒田龍之介さん

という名前が登場して、そうか、数ヶ月前にちくま文庫となった本は、この語学

学校の話であるかと思いましたです。

 この本を読んでいましたら、編集工房ノアからでている庄野至さんの「足立さん

の古い革鞄」に収録の「黒猫の棲んでいるホテル」という文章を読み返したく

なりましたです。

 次のようなくだりがあります。

「藤井君は新潟の生まれ。中学生の頃から、ラジオを聴きながら勉強をするように

なっていた。その頃流行していた若者向け深夜番組も好きだったけれど、ダイヤル

を回している間に、その隙間から日本海を隔てたウラジオストックから聴こえてく

るロシア語放送に、興味を持つようになった。」

 こうしてロシア語放送のとりこになった藤井くんの運命やいかにであります。

 

ここにありましたか

 本日は土曜日でありますので、ふとんのなかで新聞読書欄に目を通す

ことになりです。なにか気になる本はないかなでありますが、先日の図書館

で手にしていた本が紹介されていました。これは読むことはないだろうなと

思うことで。

 午前にはトレーニングへと行って汗を流すことにです。このところ土曜の

午前は利用者さんが多くて、ランニングマシンなどは順番まちができるよう

な状態です。当方の本日は80分間の運動ですが、ランニングマシンは最後

のメニューですので、お昼に近くなって、そのときはすこし空くようになってい

ました。二週間ほどまえに股関節に痛みを感じて、すこしペースを落としての

運動をやっておりますが、ほとんど痛みは感じませんので、そろそろ戻しても

大丈夫かな。

 午後からは食材も含めての買い物にでることです。その時に、ブックオフ

立ち寄ることにです。家人は、最近にTVで放送のあったドラマ「あきない世傅」

が面白かったということで、原作本を読んでいます。図書館から借りたり、

ブックオフで求めたりですが、先日に当方が立ち寄った時に、この店には探し

ているのがあったと思うわといって店内に入ったのであります。

 先日に当方が立ち寄ったのは、この店で乗代雄介さんの本を見かけた

ような気がするからでありました。その時には、棚に乗代さんの本はなくて

売れたのかなと思ったのですね。

 本日も乗代さんの本はなくて、「あきない世傅 金と銀」の未読の巻を購入

して、この店は終わりです。

 本日は、すこし時間があったこともあって、この店から車で20分ほどのとこ

ろにある別のブックオフにも足を伸ばすことにです。ここでも、家人は「あきない

世傅」をさがし、当方は乗代さんの本をチェックです。

 そうしましたら、新刊とかをあつめた話題の本というところに、探している

乗代さんの本が置かれているではないですか。これはありがたい。当方が

以前にブックオフで乗代さんの本を見かけたというのは、この店であったの

だろうか。前回に見かけた時には、買うのをためらってしまったのですが、

本日はちょっと値段が下がっているようですし、無条件に購入です。

 ということで、本日の収穫です。

 芥川賞候補作でありながら、芸術選奨文部大臣賞を受けてしまった作品。

帯には「今もっとも注目される作家の最高傑作」とあります。注目の作家である

ことには異存はなしですが、この作品がこれまでの「最高傑作」であるのかどう

かを確認するためには、借りてよむのではなく、買って読まなくてはだめでしょう。

 どの作品が好きかということになりましたら、女性は「旅する練習」という人が

多そうに思いますが、どうでしょうね。

 

厠での読書

 このところ厠で手にしているのは、種村季弘さんの「書物漫遊記」であります

が、これはめっぽう面白い。もうずいぶんと前にでた文庫本でありますが、たぶん

元版も持っているはずです。

 昭和52年に隔週発行の「週刊時代」というのに連載したものをまとめたもの

です。「週刊時代」なんて、ほとんど手にしたこともない雑誌ですが、あの丸元淑生

さんが編集長で、その関係で種村さんに依頼があったとあります。

 本日読んでいたのは「我が闘争 吉田健一 流れ」という文章で、吉田健一

さんの「流れ」という短編小説を枕に、後半では自分のところにくる借金取りとの

やりとりが描かれる小説のような味わいの文章です。

 吉田健一さんの「流れ」という小説は「筋らしい筋のある小説ではない。その町

に住む造酒屋の主人の青年が、川沿いの『あわや』という何の変哲もない居酒屋

で酒を飲むだけの話である。『あわや』はどうということはない店であるが、その

どうということがないというところが、得もいわれずいいのだ。」とあります。

 これを読んだ種村さんは、「あわや」へと行って酒を呑みたいと思うのですが、

「考えてみれば無理なのである」でして、どこにもない町の、架空の「あわや」と

いう飲み屋で、備後正宗という架空の酒を飲む。

「一から十までが絵空事の贅沢で、しかもそれがどこにでもありふれた贅沢の

ように思えるのに手が届かない。」

 いかにも吉田健一さんの世界でありますね。現実の街について書いた小説よ

りも、この「流れ」というのを読んでみたいことです。

そう思って検索をかけてきましたら、この作品は中公文庫の短編集にに収録さ

れているとのことです。

 種村さんの文章の後半は飲み屋のつけの借金取りとのやり取りですが、

この取り立てやさんに思わず感情移入することです。

「桜井さんは六十がらみの、どこかの中小企業を定年まで勤め上げて、病妻の

ためにいやな稼業にも手を染めなければならなかったという曰くでもありそう

な、みるからに人生の敗残者然としたお爺いさんなのである。入口の戸を開ける

と、いつも申し訳なさそうに気弱な微笑を浮かべながらしょんぼり立っている。

歴然たる失業者より失業者然としていて、もっとも、そうでなければ失業者から

借金を取り立てるのには不向きだ。」

 失業者から取り立てをするのは、相当な技術がいるということがわかります。

すこしページを稼がなくては

 図書館から借りている本と積読本などを読んでいるのですが、すこし煮詰ま

り気味でありまして、読みやすいものを混ぜなくてはいけないことです。

佐藤正午さんのものは、読みやすくないことはないのですが、スルーっと読み

ますと、あれどうなっているのかとなりまして、ちょっとつっかかりながら読まな

くてはいけないようです。

 図書館本の入れ替えの時に、もうすこしページを稼ぐことができるものをと

棚を見ていましたら、1月に立ち見した本が、図書館に入っていましたので、それを

借りてみることにです。

 モスクワ放送で働いていた日本人スタッフについてのドキュメントで、著者は

毎日新聞の記者さんとのことです。(基本的に新聞記者さんは、難しい内容で

ありましても、多様な読者にあわせて、わかりやすく記してくれるのでありがたし

です。)

 時代はちょうどソ連邦が崩壊する前後でありまして、今から30年ほどしか前で

はないのですが、あの頃の混乱と較べると、いまのロシアはなんて安定している

のかと思うロシアの人も多いのでしょうね。

 ワイマールからヒットラーが生まれたように、グラスノスチからプーチン誕生で

ありまして、すこしの混乱を伴う自由を謳歌したあとには、その副作用が発生す

ることです。

 その昔の冷戦時代のモスクワ放送で働くといえば、共産党関係者というのが

多かったように思いますが、この本に登場する人たちは、なんとなくノンポリ風で

ありまして、外国の放送局の一つとしてのモスクワ放送に職を得たという趣で

あります。

 本日に読んでいたところで、こんなことがあったのかと思ったくだりです。

1992年のことになります。

「放送局も資本主義の波にのまれていく。モスクワ放送が持つ中波のいくつか

の周波数のうち最も聞きやすかったと言われる720キロヘルツについて、日本

時間の午後11時台をロシア政府がオウム真理教に売り渡していたことが当時

取りざたされている。・・・『オウム真理教放送』が1992年4月に始まったとき、

教団はすでに坂本弁護士一家殺害事件を起こしていたことがのちに判明す

る。・・外国だとはいえ、殺人事件を起こした集団に公共財産である電波を

提供したのだから、強い非難を受けても仕方がない行為だった。」

 そういえば、この本を見てロシアでオウム真理教が多くの信者を獲得して

いたことを思いだしましたです。     

何日か過ぎてしまった

 何か忘れているなと思ったら3月3日は小沢信男さんの祥月命日であり

ました。日々に疎しとはいうものの、まだ亡くなって何年もたっていないのに

です。ほんとに、西村賢太さんを見習わなくてはいけませんです。

 小沢さんが亡くなってから、谷中のお宅に伺うこともなく、どこにお墓がある

のも承知していないのですから、薄情なことであります。

 この一年での小沢さんといえば、こちらの北海道の新聞のコラムで四万

六千日にからんで小沢さんの文章の引用がありました。これを目にして喜ん

で、この場で報告しておりました。

vzf12576.hatenablog.com あとは、古本で小沢さんのサイン本を一冊買いましたです。小沢さんの架蔵本

月の輪書林から売りにでているよと教えられて、早速に日本の古本屋で確認

をしましたら、小沢さんのところにあったものがコメントつきでならんでいたので

すが、そのなかにこれは手放しちゃだめでしょと思う本がありまして、それを救出

することにしたのですね。

 これに類した話題を、どこかに記しているはずでありますが、阪田寛夫さんの

娘さんであるなつめさんこと大浦みずきが書いているエピソードです。

 阪田寛夫さんが芥川賞を受けた「土の器」を、娘さんに献呈したのでありま

すね。それを大浦さんが宝塚を引き上げるときにダンボールにつめるのに、

誤って処分する箱に入れたことから、この本が古本屋に流れて、それを大浦

さんのファンが発見して、人を介して大浦さんの手元に戻ってきたという話で

あります。大浦さんは、処分してから17年も経過してから戻ったとと記してい

るのですが、それとくらべると当方の救出は早いのですが、問題はこれを

本来あったところに戻すことができるかどうかでありますね。

 大浦みずきさんの「土の器」については、2010年の話題でありました。

vzf12576.hatenablog.com

すこしは読まなくては

 本日に野暮用から戻りましたら岩波「図書」3月号が届いておりました。

このところ郵便事情が悪いために、配達が本日になったのでありましょうね。

それにしても「ちくま」「波」「一冊の本」「図書」と購読しているのですが、

ほとんど読むこともできないうちに、次の号が届くというのがこのところであり

ます。

 これじゃいかんと、本日は「図書」と「波」を手にしておりました。どちらも続き

ものがありまして、バックナンバーもあわせてとりだして、一気に読んでしまわな

くてです。

 「図書」の続きもので読んでいたのは松本礼二さんが書かれた「父の友人

たち」というものです。

 松本さんが二歳になるかならぬかで亡くなった父上の旧制高校で出会っ

た友人たちについて書いているもので、古在由重、村井康男、尾崎英子、篠田

英雄、山崎謙、中西篤、塙作楽、吉野源三郎という人たちの名前があがって

います。当方が辛うじて名前を知っているという方が何人か、初めて聞く名前の

人が半分となりますが、篠田英雄さんを除く人たちは、いずれも「戦前戦中、

父と同様に、共産党ないしその周辺にあって非合法活動に携わり、あるいは

その嫌疑を受けて治安維持法違反に問われ、獄中生活を送った人たちが

少なくなかった。戦後、そうした人々は父を含めて政治・言論活動を再開し、

左翼論壇の一翼を担い、いわゆる『進歩的知識人』として知られるものも

あった。」ということになります。

 タカクラテルとか伊藤律など、最近ほとんど話題になることのない人たちに

ついての文章を久しぶりに目にしたことでありです。

 「波」では、三回続いた北村薫さんの「不思議な時計」を読むことにです。

これが楽しいのでありますが、話題がうつりかわっていて、ついていくのが

たいへんであります。馴染みの薄い萩原朔太郎が中心に据えられているせ

いもありまして、ちょっととっつきにくい。

この「不思議の時計」を表題にして、「本の小説」は単行本になるのだそう

です。