厠での読書

 このところ厠で手にしているのは、種村季弘さんの「書物漫遊記」であります

が、これはめっぽう面白い。もうずいぶんと前にでた文庫本でありますが、たぶん

元版も持っているはずです。

 昭和52年に隔週発行の「週刊時代」というのに連載したものをまとめたもの

です。「週刊時代」なんて、ほとんど手にしたこともない雑誌ですが、あの丸元淑生

さんが編集長で、その関係で種村さんに依頼があったとあります。

 本日読んでいたのは「我が闘争 吉田健一 流れ」という文章で、吉田健一

さんの「流れ」という短編小説を枕に、後半では自分のところにくる借金取りとの

やりとりが描かれる小説のような味わいの文章です。

 吉田健一さんの「流れ」という小説は「筋らしい筋のある小説ではない。その町

に住む造酒屋の主人の青年が、川沿いの『あわや』という何の変哲もない居酒屋

で酒を飲むだけの話である。『あわや』はどうということはない店であるが、その

どうということがないというところが、得もいわれずいいのだ。」とあります。

 これを読んだ種村さんは、「あわや」へと行って酒を呑みたいと思うのですが、

「考えてみれば無理なのである」でして、どこにもない町の、架空の「あわや」と

いう飲み屋で、備後正宗という架空の酒を飲む。

「一から十までが絵空事の贅沢で、しかもそれがどこにでもありふれた贅沢の

ように思えるのに手が届かない。」

 いかにも吉田健一さんの世界でありますね。現実の街について書いた小説よ

りも、この「流れ」というのを読んでみたいことです。

そう思って検索をかけてきましたら、この作品は中公文庫の短編集にに収録さ

れているとのことです。

 種村さんの文章の後半は飲み屋のつけの借金取りとのやり取りですが、

この取り立てやさんに思わず感情移入することです。

「桜井さんは六十がらみの、どこかの中小企業を定年まで勤め上げて、病妻の

ためにいやな稼業にも手を染めなければならなかったという曰くでもありそう

な、みるからに人生の敗残者然としたお爺いさんなのである。入口の戸を開ける

と、いつも申し訳なさそうに気弱な微笑を浮かべながらしょんぼり立っている。

歴然たる失業者より失業者然としていて、もっとも、そうでなければ失業者から

借金を取り立てるのには不向きだ。」

 失業者から取り立てをするのは、相当な技術がいるということがわかります。