「四万六千日」かな

 本日の出先で数日前の新聞を見ておりました。北海道では新聞といいましたら、

「道新」でありまして、このまちで新聞といったら、それは「民報」のことを

さすのでありますが、本日に「四万六千日」というのを目にしたのは、道新の

7月9日のコラムでした。

「東京・下町の夏の風物詩、ほおずき市の起源は江戸時代の明和年間にさかのぼる。

その日に参拝すると一生分の功徳が得られる特別な日『四万六千日」に浅草寺境内

に屋台が並んだのが始まりとされる。」

 ちょうど7月9日に東京に住む友人から、写真が送られてきて、浅草寺に行った

けど日曜日であったこともあってほおずき市は、これまでで一番の人出であった

とのコメントがついていました。

7月9日 四万六千日 浅草寺 ほおずき市

 どうして、この時期にほおずき市であるのかと思って、コラムの先を読んでみま

したら、次のようにあるのです。

「芝の愛宕神社の縁日で薬草として売られたほおずきが好評だったため、四万六千日

の大本である浅草寺で市がたった。『昼夜をわかたず、貴賤群衆する事、殊におび

ただし』と記録が残る雑踏を目当てに売られたものが観賞用として今日に至る、と

作家小沢信男は書いた。」

 おお、ここに小沢信男さんの名前がでてきたか。これはこれはで、メモをするこ

とといたしました。

 このコラムの記者さんは、小沢信男さんのファンであるのかな。どういう回路で

小沢さんの文章を思いついたのだろうかと、疑問を持つことにです。

 ところで、このコラムに引用されているくだりはどこにあるのだろうかと思って、

自宅に戻ってから確認してみることにです。

浅草寺ほおずき市についてですので、小沢さんの本で一番入手しやすいちくま文

庫「ぼくの東京全集」をチェックしてみますが、ここにはありませんでした。

 そうなりますと、小沢さんの東京ものを収録したどれかになるということで、

何冊かを手にしてパラパラと目次をチェックしましたら、1993年に筑摩書房

から刊行の「あの人と歩く東京」に収録されていました。

 初出は雑誌「公評」で91年でしょうか。(初出誌は未確認)

朝顔市とほおずき市」というタイトルになっていますが、7月6、7、8日は

入谷の朝顔市で、それに続く7月9、10日は浅草ほおずき市だからですね。

 小沢さんがこの文章を書いた頃には、浅草の低落はいわれて久しくで閑散は

常態となっていて、ほおずき市も人が少なく、「群集する事、殊におびただし」

には遠かったのですが、とっぷり日が暮れてから仲見世へとまた行ったら、すごい

人で、これは会社を終えてから集まってきた人たちなのだろうと続くのでした。

 それにしても、いまや浅草といえばお上りさんならぬ、外国からの観光客に

一番人気の地でありますので、30年で様変わりしたことであります。