本日は祥月命日で

 本日は小沢信男さんの祥月命日で、早くも三回忌となります。

 当方のなかでは長谷川四郎さんの祥月命日を山猫忌とし、その他にも星娘忌

などと勝手に名付けて一人で偲んでいるのでありますが、小沢信男さんについ

ては、どのように名付ければいいのかと、いまだ決めかねております。

 まっ先に思いついたのは俳句の時の号である「巷児」を使うことでしたが、

小説家でも、詩人でも俳人でもあった方でありますので、もうすこしぴったり

くるものはないだろうかです。

 「骨灰忌」というのは、どうだろうかと、今思いついたことです。骨灰とい

う言葉はあったのでしょうが、当方などは小沢さんの「東京骨灰紀行」という

本で知ったようなものですし、小沢さんのデビュー作ともいえる作品は、「東

京落日譜」で、これは東京大空襲の焼け跡めぐりのものでしたからね。

 この場では、3月3日を「骨灰忌」ということで、やってみようかなです。

 この一年くらいで、当方が目にした小沢さん関連の資料は、一つは「VIKING

に掲載された中尾務さんの「小沢信男リトルマガジン」であり、もう一つは

山田稔さんの「思いだす、書き残す」というトークイベントの記録冊子であり

ます。

vzf12576.hatenablog.com 本日の夜には、BS放送昭和歌謡の番組がいくつかありです。

作曲家 浜圭介さんの特集、藤圭子さんの特集でありますが、そういえば、

小沢さんは昭和の歌謡曲が好きだといっていました。詩人の辻征夫さんの

唱歌ということで、竹越ひろ子「東京流れ者」をYouTubeできいていま

した。

 本日は小沢さんの文章と「東京流れ者」で、小沢さんを偲ぶことにいた

します。


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「波」と「図書」

 本日に新潮「波」が届きまして、昨日に岩波「図書」が届いていましたので、

あと当方のところで残すのは「みすず」だけとなります。

 「波」を手にして、目次を見て、編輯後記を見ることになりです。

「後記」の書き出しは「村上春樹さんの新作の四月刊行が発表されました。愉し

みですねえ。」でありますので、気持ちは次の月に飛んでいるのかもしれません。

新潮社は村上さんの新作への期待の大きさがうかがえることです。(ひょっとし

て、新潮社社員の夏のボーナスは、この村上春樹さんの新作の売り上げにかかっ

ているのかもしれませんです。そんなことないか。)

 今月は楽しみにしている北村薫さんの「本の小説」の掲載がありました。

このなかで「いとま申して」三部作に言及されているところがあり、先日に一作

目を読んで、次作を読んでやりましょうと確保のためにクリックしていてよかっ

たことと思うことです。

 あれこれと北村さんのものを購入して、さっぱり読むことはできていないので

すが、まだまだ時間はたっぷりあると思いたいことで。

 いつ頃からか「波」には梨木香歩さん原作の「家守奇譚」が近藤ようこさん

のコミックスとなって連載です。いよいよ、このようなPR誌にもコミックスが

掲載であるかと思ったものです。

 まあ近藤ようこさんは力のある方で、ちくま文庫に何冊か入っていますし、

澁澤龍彦さんの「高丘親王航海記」をコミックスに仕立てて話題になっていま

すので、へたな作家さんなどよりも、ずっと「波」という媒体には向いている

かと思います。

 そんなことを思っておりましたら、まさかの岩波「図書」にも近藤ようこさん

の連載がありです。こちらは見開き二ページで、「ゆうやけ七色」というオリジ

ナルのものです。「図書」三月号では、「昭和は遠くなりにけり」というもの

でした。

 これって、たいへんな快挙でありますよね。「ちくま」ではなくて、「波」と

「図書」というのが驚きであります。

 これからの人は近藤さんのコミックスで昭和の小説を読んだりするのかな。

ノンフィクション・コラム

 久しぶりに上原隆さんのコラム集を手にすることにです。

 今回入手したのは双葉文庫からでた「ひそかに胸にやどる悔いあり」です

が、元版は幻冬舎から2018年に刊行となった「こころ傷んでたえがたき日に」

で、これが双葉社に移籍して文庫からされ、それにあわせて加筆と改題されたと

今回の文庫には記されていました。

 上原さんは、市井の人の話を聞いて、それをコラムにするという手法で、文筆

活動を続けています。最近のテレビとかネットでは、このような手法のものが

見受けられますが、上原さんのコラムは、有名人が登場することはなく、ほんとに

地味な内容で、こんなんで商売になるのかと思ってしまうことです。

 決してメジャーではありませんが、このような渋いコラムには、渋い読者がつい

ているということが、この文庫本を開いてみるとわかります。

 本日は、収録のコラムのうちのいくつかを読んでみました。ノンフィクションと

あるのですから、氏名が公開されている人は、検索しましたら、その人にヒットす

ることになります。

 そうした人を取り上げたコラムのほうが例外ではあるのですが、本日は神社さん

という不思議な姓の男性を知ることになりです。この男性は1978年生まれで、

大学在学中にクローン病となって、それに苦しむことになるのですが、当方の知人

の息子さんがやはりクローン病で、何度も入退院を繰り返していたのを思いおこし

たことです。

 この神社さんのコラムでは、母親のこと語られるのですが、これを読んでいまし

たら、知人のことが重なってきましたです。知人の息子さんは、現在家庭をもって、

仕事も継続しているのですが、たぶん病気は落ち着いているのでありましょう。

 神社さんは、次のように語っています。

「当時の僕は自分のことで精一杯で、母の気持ちを考える余裕はなかったけど、

いま思うと、母は僕以上につらく、苦しかったのかもしれません。」

 このコラムを、クローン病の息子をもった知人に紹介すべきかどうか、ちょっと

迷っていることです。

図書館本の借り換えを

 二月も本日でおしまいで、ほんと二月はあっけなく終わることであり。

 図書館から借りている本の一部が期限が過ぎて、これを戻してまた借りる

ことになりです。そのほかで、なにかめぼしいものはないかと思って棚を

みておりましたら、いつもでありましたら閉架書庫にあるものを出してきま

したので借りてくださいと張り紙がついていました。

 せっかくだから何か興味をひくものはないかと見ておりましたら、加賀乙彦

さんの「読書ノート」という本が目に入りました。(古い本ですが、書影はで

てくるかな)

 一見してわかるとおりでありまして、装丁は田村義也さんです。

1984年5月の本ですから、40年近く前の本となりです。書評集ですが、

後半に置かれたのは精神医学についての書評ですので、これは珍しいことで。

こういう本があることは知りませんでした。

 この時代は、短編全集とか、ノートとタイトルのついたものなどを潮出版社

から刊行していたのですね。1月に亡くなって、行きつけの図書館では小さな

追悼コーナーを作っていたのですが、そのときは小説がメインで、こうした本

はならんでいなかったようです。

 この「読書ノート」の残念なのは、これに収録の書評の初出掲載についての

情報がないことであります。加賀さんの書評の切り抜きをそのまま活字にして

本にしたというもので、ちょっとさびしい。

 なかを開いてみていたら、次のようなくだりがありました。

「彼は時代の文学の先頭に立ち、その時代のもっともアクチュアルな文学や

思想と全力をつくして係わり、対決してきた。サルトルヘンリー・ミラー

ノーマン・メーラー野間宏金芝河エリクソン、バフティン、ユング

山口昌男の名が、彼の文学と同時に存在し、響き合っていた。彼の小説は、

時代と交響しながら、次の時代を透視する力業であった。」

 これは「表現する者」という本の書評であります。この本の刊行は1978年

だそうで、ここにあげられている名前を見ますと、彼というのがどなたである

かわかりますですね。

 

予定とおりにいかないこと

 本日は月曜日でありますので、パン作りをしてトレーニングに行って、一月に

亡くなった先輩のところにお参りにいくという予定をたてておりました。

 その合間に、すこし本を読むというものでありますが、予定とおり行かないが

日々の生活でありまして、朝起きてすぐに除雪をしたり、天然酵母のあがりが

良くなくて、時間通りいかないというようなことで、結局はトレーニングをあき

らめることになりました。

 本もすこしは読めるはずでありましたが、あまりはかばかしいものとはなりま

せんでした。

 先日に手に取った谷崎潤一郎新書版全集が、近くにおかれているので、それに

手を伸ばしてしまいました。「途上」を読むためにひっぱりだしてきた巻ですが、

その巻頭に置かれている「白昼鬼語」という作品を目にしましたら、いきなりに

「てっきり園村は発狂したに相違ない。」とありまして、最近は「発狂」なんて

言葉を小説に記することは難しくなっていることと思うことです。

 谷崎の作品は、それこそ現代の感覚では到底許されないような記述があちこちに

ありますからね。この「白昼鬼語」(昼に字は、旧字での表記が正しいのですが)

は、全集以外のどこかで読むことはできるのでしょうか。

「私は心から彼の発狂に憂慮し、恐怖し、而も甚だしく狼狽した。

 金と暇とのあるに任せて、常に退廃した生活を送って居た園村は、此頃は普通

の道楽にも飽きてしまって、活動写真と探偵小説を溺愛し、日がな一日、不思議

な空想にばかり耽って居たやうであるから、その空想がだんだん募ってきた結果、

ついに発狂したのであらう。さう考へると私はほんたうに身の毛がよだった。」

    この作品は大正7年の作品とありますので、今から百年ほど前に発表されたも

のとなりますが、当時は「発狂する」というのは普通に使われていたのですね。

「その空想が募った結果、発狂」ということになれば、最近のいろいろな熱中

さんあたりは、軒並み発狂状態ということになりそうです。

 発狂とか廃人という言葉は、当方が中学生のころ(今から60年くらい前)ま

では普通に使われていたのでしょう。

当時、モーリス・ラベルについて、交通事故の後遺症で廃人となってしまった

というような説明がされていて、廃人となるのはどういうことなのだろうと思っ

たことであります。もちろん、最近の説明では、そんなおおざっぱな記述はさ

れないことであります。

 

 

ひと月もかかったか

 そればかりを読んでいたわけではないのですが、先月に購入した北村薫さん

の「いとま申して」をやっとこさで読むことができました。

 ほとんど北村さんの小説は読んでもいないのですが、この作品は北村さんの

ものでは毛色が違ったものなのでしょう。

 北村さんのお父上(明治42年生まれ)が残された若い日の日記を読み解く

ものでありますが、お父上の中学から大学(もちろん旧制)時代で、学校での

学びと、同人誌活動のことが前面にでていて、その時代のことが背景として

描かれています。

 大正の終わりから昭和改元の頃のことでありまして、軍事教練はあるものの、

いまだ戦時体制とはなっていない頃のことです。

 印象に残っているのは、中学の時に投稿雑誌の常連たちで作った同人誌の

メンバーのことですね。大学に入っても学友と同人誌を作るのでありますが、

大学の同人たちと比べると、中学の時の同人たちは、際立って貧しいのであ

ります。

 当方からしますと、あの時代の大学生といえば別な世界の人でありまして、

親近感を抱くのは「新興童話連盟」周辺の人たちであります。

若い人たちが、自分たちの同人雑誌を作るのですが、その貧しさと熱い想い

が時代であります。

「そんな暮らし(大学生の)とは無縁の少年、千代田愛三と関英雄は、同人誌

『羊歯』の刊行を、重苦しい日々における、ただ一つの輝く目標、生きがいと

していた。 だが、二人がせっせと貯めた金を合わせても、謄写版印刷器は

なかなか購入できない。会員に短い童話を寄せてもらい、<それまでのつなぎ>

として、小さな童話集を作った。」

 ちなみにこの「羊歯」という同人誌の会費は、月額二十銭ということで、こ

れなら毎月の小遣いでも支出可能とお父上は思うのですが、その後大学で参加

した同人誌は十円で、活版印刷というものだったとあります。

 住む世界が違うというのは、こういうところにも表れています。

 当方が二十歳くらいになっても、冊子をつくるというと謄写版印刷を利用して

おりましたので、昭和の初めから半世紀以上にわたって謄写版印刷は表現を支え

てくれていたということがよくわかりました。

 この本の後半になってお父上は、奥野信太郎とか折口信夫の謦咳に接する

ことになるのですが、それはこれの続編で描かれることになるようです。

 

世田谷の水色の家

 先日に放送があった「そして、水色の家は残った」というBSの番組ですが、

再放送のときに録画をして、気になっているところを見返すことになりです。

 この番組は、世田谷区で一番古い洋館ということになっている建物は、誰に

よって建てられ、どのような人が住まって、これからはどうなるのかというこ

とで番組作りがされていました。

 当方は、まったく知らない世界ですが、人気漫画家の山下和美さんという方

が声をあげて、この建物の保存団体を作って活動をしているとのことです。

この山下さんの作品が、広くこの洋館を世の中に知らせることになったよう

です。

 山下さんは、この建物にほれ込んで、なんとか残したいものと思ったようです

が、補修と維持のためにとってもお金がかかりますので、そうとうな覚悟で始め

たようです。(ニトリの社長さんほどお金回りがよろしければ、容易なのであり

ましょうが。)

 当方は手にしていないのですが、このコミックでは、そのことを描いている

ようです。

 今回のBS番組では山下和美さんが登場したところから話は始まっていくのです

が、建築した人、その後建物を買った人、その建物に同居人として住んだ人の

話題などが続きます。

 ここの一室に住んだ家族として、「月の家族」で知られる島尾伸三さんと潮田

さん、まほさんが登場することになりです。島尾さんは顔をだしていなかった

ようですが、潮田さんとまほさんが、ここでの生活のことを語っていました。

 なるほど後年にはシェアハウスのようになっていたのか。

 それで戦時中の家主さんの逸話を紹介するところで、登場したのが中野重治

さんの娘さん(現在84歳とのこと)で、顔出しはなかったのですが、その家に

は同年代の娘さんがいて、何度か遊びにいったという証言をすることにです。

 というのが、そのあと中野重治さんの小説作品につながっていきます。

この水色の家は世田谷豪徳寺にあるとのことで、中野重治さんもご近所にお住ま

いであったのですね。

 そして、中野さんはその住まいの主(大学の教員であったよし)をモデルに

「吉野さん」という作品を残しているとうことで、この作品が林淑美さんに

よって紹介されました。

 その時に映し出された中野さんの本が、ちくま日本文学全集でありました。

あの文庫サイズのものに、「吉野さん」が収録されているのかです。

たまたま、当方のところにこの「中野重治集」がありましたので、早速、この

「吉野さん」を読んでみることにです。

 当方の手元にあるこの本を取り出したら、1993年の当方の誕生日に息子

たちから送られたものであることがわかりました。ちょうど30年ぶりに日の目

を見たこととなります。

 息子たちに確認しましたら、もちろんそのことは忘れておりました。息子たち

はその時の父親の年齢を超えたと言って嘆いておりました。