そればかりを読んでいたわけではないのですが、先月に購入した北村薫さん
の「いとま申して」をやっとこさで読むことができました。
ほとんど北村さんの小説は読んでもいないのですが、この作品は北村さんの
ものでは毛色が違ったものなのでしょう。
北村さんのお父上(明治42年生まれ)が残された若い日の日記を読み解く
ものでありますが、お父上の中学から大学(もちろん旧制)時代で、学校での
学びと、同人誌活動のことが前面にでていて、その時代のことが背景として
描かれています。
大正の終わりから昭和改元の頃のことでありまして、軍事教練はあるものの、
いまだ戦時体制とはなっていない頃のことです。
印象に残っているのは、中学の時に投稿雑誌の常連たちで作った同人誌の
メンバーのことですね。大学に入っても学友と同人誌を作るのでありますが、
大学の同人たちと比べると、中学の時の同人たちは、際立って貧しいのであ
ります。
当方からしますと、あの時代の大学生といえば別な世界の人でありまして、
親近感を抱くのは「新興童話連盟」周辺の人たちであります。
若い人たちが、自分たちの同人雑誌を作るのですが、その貧しさと熱い想い
が時代であります。
「そんな暮らし(大学生の)とは無縁の少年、千代田愛三と関英雄は、同人誌
『羊歯』の刊行を、重苦しい日々における、ただ一つの輝く目標、生きがいと
していた。 だが、二人がせっせと貯めた金を合わせても、謄写版印刷器は
なかなか購入できない。会員に短い童話を寄せてもらい、<それまでのつなぎ>
として、小さな童話集を作った。」
ちなみにこの「羊歯」という同人誌の会費は、月額二十銭ということで、こ
れなら毎月の小遣いでも支出可能とお父上は思うのですが、その後大学で参加
した同人誌は十円で、活版印刷というものだったとあります。
住む世界が違うというのは、こういうところにも表れています。
当方が二十歳くらいになっても、冊子をつくるというと謄写版印刷を利用して
おりましたので、昭和の初めから半世紀以上にわたって謄写版印刷は表現を支え
てくれていたということがよくわかりました。
この本の後半になってお父上は、奥野信太郎とか折口信夫の謦咳に接する
ことになるのですが、それはこれの続編で描かれることになるようです。