幸せなときもあり

 本日もあれこれとありですが、手にした本は絲山秋子さんのものと

西村賢太さんのものでありました。

 西村さんの作品には、絲山さんが躁状態の時に行ってしまった「理不

尽な怒りにかられて暴言を吐いたことや、喧嘩をしたこと」で、「多くの友人

知人を失った」と記していますが、このことは西村さんの小説世界にも登場

することであります。

 西村さんは絲山さんとはちがって双極性ではありませんが、なんとなく

世間からは発達障害といわれそうな個性であります。それでも、同居してい

る女性との幸せを感じるさせるひとときがあるのでした。

 女性と所在なく夜を過ごしている時に、女性が次のようにいってくれます。

 「小銭をかぞえる」所収の「焼却炉行き赤ん坊」から引用です。

「『だったら、パラフィン掛けでもしようか。買ってきた本も、もうだいぶたまっ

てたんじゃない?』

 女が俄に名案が閃いた口調で、提案してくる。・・・・・

『ああ、成程。それは思いつきだね。じゃ、そうしようか』」

 ということで、二人は男が大事にしている古書にパラフィン掛けを行うわ

けです。この作業については、地の文で、次のように書いています。

「古本へのパラフィン掛けは、二十代の頃に神保町の古書店でアルバイト

をしていた際に要領を覚えたのだが、当然カバー付きのものとフランス装や

仮綴装、または函付きのものでは、紙の折り方や切り方がまるで違っていた。

それに切り口の角度の塩梅にもいろいろあり、折り方にも耳を折り込んだま

ま糊を貼るスタイルとか、ちゃんと耳も切り取ってより見栄えの良いものに

仕上げるタイプとか(中略)、その、はたから見れば全くどうでもいいような

技法は、やはり古書業者各々の性格によってなかなかに千差万別で」

 二人で仲良くパラフィン掛けをするなんて至福の時ではありませんか。

この幸せな時間はいつまでも続いてほしいと思うのですが、それがなにか

を引き金にして暗転するのですが、さすがにこのあと、同居の女性に暴力を

振るうことはないのですが、理不尽な怒りと暴言を浴びせることになりです。

 ほとんどDV男とかわりなしで、これを女性が読んだらどのような感想を

もつでありましょうね。

 この作品が発表されてから十数年が経過して、DVで自分の子どもに

虐待する男たちがクローズアップされていますが、西村さんが描く主人公

は、ほとんどそうした男たちと変わらずですが、作中に子どもが登場しない

のが救いでありますか。

小銭をかぞえる (文春文庫)

小銭をかぞえる (文春文庫)

 

 

不愉快を楽しむ

 読んでいたらひどく不愉快になるのでありますが、それでも楽しんで読ん

でしまうというのは、なんでありましょうか。読んでいやな感じになる小説と

いうジャンルもあるようですが、そういったものを当方はほぼ読まないのです

が、例外は西村賢太さんの小説でしょうか。

 これまで何度も言及しているかもしれませんが、当方がはじめて西村さん

について知ったのは「本の雑誌」2007年11月号での坪内祐三さんの発言

でありました。

vzf12576.hatenablog.com その頃は、西村さんがこのようにメジャーな作家になるとは思ってもおりま

せんで、作品を手にしたのはちょうど当方が定年退職するときに職場の若い

人たちが万年筆と本をお祝いに贈ってくれ、その一冊が「苦役列車」であり

ました。ちょうど2011年上半期の芥川賞を受けて話題になっていたのです。

 その後、西村さんのライフワークともいうべき藤澤清造関連の作品が文庫

になったりすると手にするのでしたが、なんといっても当方が親しみを感じる

ことはない人物が主人公でありますので、読んでいるうちについつい腹をた

てていたりします。いやだったら読まなくてけっこうと挑戦的な内容であります

し、たまには愛嬌をみせたりするので、これにほだされて読み通して、やはり

不愉快になったりします。ほんといやな小説であることです。

 ということで、本日は先日に確保した「小銭をかぞえる」を読んでおりまし

た。これは小説だ、作中の主人公は作者の西村賢太とイコールではないと

思いながらですが、この作中における主人公が金策で昔の仲間のところへ

いってのやりとりや、同棲中の女性への金のせびり方などには、本当にこう

いうやりとりがあるのだろうなと思わせます。

 そう思って読んでいますと、その昔の文士で借金をしたり、それを踏み倒す

ということで逸話を残している人の多いことに気づきました。実家が裕福で

あった人もいるでしょうし、非常に懐の深い友人に恵まれた人もいましたです。

 その代表的な存在は石川啄木あたりでしょうが、金田一京助の家族のな

かでは啄木は貧乏神のように思われていたとかですからね。啄木の作品が

残らなくては単なる駄目な男でおわりであったでしょう。

 西村さんも藤澤清造全集をなんとしても完成しなくては、何をいわれるか

わかりませんですね。「本の雑誌」2007年11月号の坪内さんが内容見本が

でたのは十年くらい前といっているのですが、すでに二十年ちょっと経過して

いますね。その後は、以前よりも西村さんの懐具合は改善されたのでしょうが、

そうなりますと、それはそれで資料収集を完璧にという病が再発するのであり

ました。

小銭をかぞえる (文春文庫)

小銭をかぞえる (文春文庫)

 

 

 

 

 

残りの三冊は

 今週の月曜ブックオフで購入した残り三冊についてです。

 このところ安価で見つけることができたら購入しようと思っているのは絲山秋子

さんのものでありまして、読むこともせずにほっておいているので、たまにはだぶり

で買ったりすることにもなります。先日には「イッツ・オンリー・トーク」の文庫本を確

保してにんまりとしていましたら、数ヶ月前に買ったままでした。(今回、「絲的ココロ

エ」のおかげで読むことができました。)

 月曜に購入した絲山本は、次のものでした。

沖で待つ (文春文庫)

沖で待つ (文春文庫)

 

  表題作は芥川賞を受けたものとなります。設定は絲山さんが大学を卒業してか

ら働いていた住宅設備機器メーカーでの人間模様を描くのですが、もちろん私小説

ではありません。どこかに著者が投影されていると思うのですが、これは作中で語り

を行う「私」というよりも、その同期入社の男性のほうにあるのかもです。

 そんなふうに読んでみると「袋小路の男」という作品も、この男性のほうにより作者

が投影されているのかな。

 二冊目は、西村賢太さんの次のもの。

小銭をかぞえる (文春文庫)

小銭をかぞえる (文春文庫)

 

  西村さんの良い読者ではありませんが、気になることもあって、安価な文庫で

見つかりましたら購入です。特に資料収集についての本は読んでおかなくては。

こちらの西村さんは私小説作家さんでありますので、作中の私は作者自身と考

えてよろしいのでしょう。

 印刷屋さんへの内金支払いのためにお金をつくるために架蔵の本を売却す

るというのが冒頭にでてきます。この売却予定の本の候補というのが、すごいも

のでありまして、こうした本を架蔵しているというところに西村さんが並でないこ

とがうかがえます。

 三冊目は、そだちの良さで西村さんとは対照的な林望さんのもの。

イギリス観察辞典 (平凡社ライブラリー)

イギリス観察辞典 (平凡社ライブラリー)

 

  当方の好きな平凡社ライブラリーの一冊。文庫本の均一棚にささっていま

した。手にしてみましたら、これの解説を丸谷才一さんが書いていて、それだけで

購入を決めました。

 丸谷さんは解説で、「ジャパン・アヴェニュー」という言葉を説明しています。

これは1990年代はじめに日本ででた雑誌ですが、こういう雑誌があったことは、

丸谷さんの「猫のつもりが虎」(文春文庫)で知ることになったのですが、

林望さんが「ジャパン・アヴェニュー」で連載するようになったのは、丸谷さんの

はからいであったようです。

月曜のブックオフで

 今週の月曜日はディーラーに車の点検予約をいれておりまして、それにあわ

せて冬用タイヤへの交換もお願いすることになりました。今回はあれこれと点検

項目があって二時間弱とのことですから、散歩をかねて片道三千歩ほどのところ

にあるブックオフへといって、その二時間弱を過ごすことになりです。

 月曜に立ち寄ったブックオフで購入したのは四冊で、税抜きワンコインにおさ

まりました。スポンサーのご機嫌とりのために購入したものが一冊ありました。

まずはその一冊から。

京都おでかけ帖―12ヶ月の憧れ案内

京都おでかけ帖―12ヶ月の憧れ案内

 

 当方の子どもと同じくらいの女性が書かれた京都の案内本。この本を手にして、

甲斐という名字を見た時に、これはほんやら洞のご主人で、写真家の甲斐扶佐義

さんに関係があるのかなと思ったのでありますね。この本を立ち見しても、そのへん

のところはわからないのですが、文中に父親は登場するもののご本人が静岡生まれ

というのですから、これは親子ではないですね。

 それはさて、この案内がでて14年も経過すると、これに取り上げられている店で姿

を消したところもあることでありましょう。

 この本には「京の本屋さん」というコラムがあり、よく通った本屋として、次の店が

あがっていました。

 恵文社一乗寺店アスタルテ書房、三月書房、きりん館、祇園書房

いずれも個性的で知られたものでありますが、いまも残っているのは恵文社一乗寺

店と三月書房の二店だけです。それでも京都は新しく個性的な店がいくつかできて 

いるので救われていますね。 

 アスタルテ書房は、敷居の高い古書店で、当方は足を踏み入れることができずに

いるうちに店主が亡くなって閉店となったのでしたね。祇園書房は四条通りを歩いて

いたときに、こんなところに本屋がと思って入ったことはありますが、料理関係の本を

おいてあることで有名な店でした。

 きりん館は児童書のお店であったとのことですが、ここはまったく未知の店でりま

した。

 ほかの老舗とくらべると本屋さんは姿が消したところが多いことです。

「絲的ココロエ」 続き

 作家 絲山秋子さんの本を手にしています。

 「絲的ココロエ」はある意味、絲山さんの作品世界へのガイドブックとして

読んでみることもできるようです。

 「私の場合、小説のエピソードが『おりてくる』のは、気分が落ち着いている

状態のときしかない。また躁のときには、注意力も集中力も体力もないので、

小説を書くことは無理なのだ。」

 躁状態の人と付き合ったら、病気のせいで外から見たらアクティブになる

ので、いかにも小説を書くことができそうなのですが、絲山さんについては、

そんなことはなしであります。(たぶん、ほかの作家さんもそうでありましょう。

当方の友人が躁の時にくれるメールは勢いはあるのですが、内容はハイで

ありまして、ちょっと偉そうになったりしますものね。)

 上に引用したところに続いては、次のようになりです。

躁うつ病を設定に使った小説は『イッツ・オンリー・トーク』と『逃亡くそた

わけ』の二作品がある。もちろん具合のいいときに書いた。それでも自分の

躁状態を思い出しながら書くことは、かなりの負担になったし、脱稿の頃に

は精神的にも荒れていたと思う。そして、病気のことは断片しか書けていな

いという思いも強く残したままである。」 

 

イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク

 

 

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

 

  ということで、本日は「イッツ・オンリー・トーク」を読むことになりです。

ずいぶん前にブックオフで購入してそのままになっていたのですが、「絲的ココ

ロエ」のおかげで読むことができました。なるほどななかなかいいじゃないか

です。この小説は映画になったのだそうですが、主人公を演じたのは寺島しの

ぶさんとのこと。このような役を演じられる人は、そうそういませんですね。

 絲山さんは、車が好きであるらしくアルファロメオの左ハンドルのマニュアル

車にのっているのだとか、「イッツ・オンリー・トーク」に登場する人がのっている

のも扱いにくそうなランチアイプシロンでありまして、これはマニアックですね。

 

「絲的ココロエ」

 図書館から借りてきた「絲的ココロエ」を読み続けることになりです。 

  これまでの入院はすべて「閉鎖病棟」であったという病歴の友人を持つ

当方にはたいへん参考になるものであります。そのようにいう当方の中に

発達障害といわれかねないところがありますし、ちょっとうまくいかない

ことが続けばうつに沈んでしまいそうでありますからね。

 病気の友人やその他大勢の人と、当方をわけているのは、ほんと薄皮

一枚であると感じることであります。(京都のアニメーションスタジオに火を

放った人も、障害をもってはいるけども、薄皮一枚隣の人であり。)

 絲山さんは双極性でありますから、気持ちの沈んだときと高揚したとき

と落ち着いているときが、繰り返す日々を過ごすことになります。こんなの

は誰にでもあるではないかですが、その振れ幅が病気の領域に入りこむ

かどうかが問題です。

 この病気で特にたいへんであるのは、うつ状態のときよりも躁のときの

ようであります。(これは当方の友人も同じでありまして、もともと打つ気分

を生きている彼が、急に多弁となったりしますと、家族は恐れを抱くことに

なりです。)

 絲山さんが自分の躁状態のことを書いているくだりから引用です。

「自分が躁状態だったときのことをまざまざと思い出すことは、この病気で

一番つらいことである。とくに強い躁の後には、強いうつがくる。うつのとき

躁状態の行動を振り返ることは、過度の反省で『こころ』を壊すことに

つながりかねないほどの負担になる。何しろ『それも含めて自分なのだ』

とは、とうてい認めたくないことばかりなのだ。『自分らしさ』の問題は国

籍や性別を否定されることと同じくらい大きなことである。」 

 躁状態の情報が少ないのは、当事者が語りたがらないからと着した

あと、次のようにいっています。

「理不尽な怒りにかられて暴言を吐いたことや、喧嘩をしたこと、多くの

友人知人を失ったことや自殺企図の詳細までは書きたくないのである。」

 そうなんだよな理不尽な怒りで周囲とトラブルを起こすのであります

よね。当方もなにかの折にその標的になったことがありました。当方は

なんとかとどまっていますが、それは彼の母からよろしく付き合ってくだ

さいよと頼まれたからでしょうか。

近くの分館から

 当方の住む町の図書館は何箇所かに分館がありまして、新刊などですこし

マニアックなものは当方が一番利用する本館ではなくて、分館に入ったり

することがあります。特に、新しく分館ができたりするときには、ちょっと予算が

多いめについたりしますので、そういう時には本館とは違った雰囲気の本が

入ったりもするのですね。

 最近の図書館は、どこもネットで蔵書が検索ができ、ホームページで依頼を

しますと、各館に分散してある蔵書から借りたいものを揃えてくれたりもします。

今ではあたりまえのことではありますが、これがけっこう慣れなくてはおっくう

で、一番落ち着くのは、市内に点在している分館に足を運ぶことでしょうか。

 おっくうに思っているせいで、池内紀さんの「記憶の海辺」は、亡くなってから

再読したいと思っていながら、いまだ果たせておりません。

 昨日に近くの分館に足を運んだのは、絲山秋子さんの次のものがあったか

らであります。

  気になる作家 絲山秋子さんでありまして、これまでブックオフで文庫本を

見つけたりしましたら購入しておりました。芥川賞を受けている中堅作家さん

となるのですが、受賞時の紹介で病気を抱えながら小説を書いているとあって

興味を持ちました。

 当方の友人の一人に絲山さんと同じ病気に人がいて、彼はすでに病歴30

年というベテランでありますが、いまでも好不調の波が大きく、生きるのに苦労

しています。

 病気と折り合いをつけながら小説の執筆を続けている絲山さんは、どのよう

に病気に向き合っているのかに興味がわいて、「絲的ココロエ」を借りてきた

わけです。

 「絲的ココロエ」は、同病の友人の置かれている状況を理解するのに、参考に

なりそうであります。