「絲的ココロエ」

 図書館から借りてきた「絲的ココロエ」を読み続けることになりです。 

  これまでの入院はすべて「閉鎖病棟」であったという病歴の友人を持つ

当方にはたいへん参考になるものであります。そのようにいう当方の中に

発達障害といわれかねないところがありますし、ちょっとうまくいかない

ことが続けばうつに沈んでしまいそうでありますからね。

 病気の友人やその他大勢の人と、当方をわけているのは、ほんと薄皮

一枚であると感じることであります。(京都のアニメーションスタジオに火を

放った人も、障害をもってはいるけども、薄皮一枚隣の人であり。)

 絲山さんは双極性でありますから、気持ちの沈んだときと高揚したとき

と落ち着いているときが、繰り返す日々を過ごすことになります。こんなの

は誰にでもあるではないかですが、その振れ幅が病気の領域に入りこむ

かどうかが問題です。

 この病気で特にたいへんであるのは、うつ状態のときよりも躁のときの

ようであります。(これは当方の友人も同じでありまして、もともと打つ気分

を生きている彼が、急に多弁となったりしますと、家族は恐れを抱くことに

なりです。)

 絲山さんが自分の躁状態のことを書いているくだりから引用です。

「自分が躁状態だったときのことをまざまざと思い出すことは、この病気で

一番つらいことである。とくに強い躁の後には、強いうつがくる。うつのとき

躁状態の行動を振り返ることは、過度の反省で『こころ』を壊すことに

つながりかねないほどの負担になる。何しろ『それも含めて自分なのだ』

とは、とうてい認めたくないことばかりなのだ。『自分らしさ』の問題は国

籍や性別を否定されることと同じくらい大きなことである。」 

 躁状態の情報が少ないのは、当事者が語りたがらないからと着した

あと、次のようにいっています。

「理不尽な怒りにかられて暴言を吐いたことや、喧嘩をしたこと、多くの

友人知人を失ったことや自殺企図の詳細までは書きたくないのである。」

 そうなんだよな理不尽な怒りで周囲とトラブルを起こすのであります

よね。当方もなにかの折にその標的になったことがありました。当方は

なんとかとどまっていますが、それは彼の母からよろしく付き合ってくだ

さいよと頼まれたからでしょうか。