新刊案内から

 出版社から届くPR誌のお楽しみは、新刊案内を見ることであります。

 昨日は岩波を話題としましたが、本日は新潮「波」からとなります。新潮社は、

過去の何ヶ月か雑誌の特集で、ざわざわとしたのでありますが、「波」を見る

限りでは、それを伺わせる文章はほとんどないことです。

 この「波」11月号では、わずかに瀧井朝世さんという方が、連載の「サイン、

コサイン、偏愛レビュー」という文章で、「ジェンダー関連を考える」ということ

で、次のように書きだしています。

「私は、差別発言は言論の自由に含まれていないと感じている。誰かの人権を

他人が侵害することは許されない、それが社会の最低限のルールであってほし

い、とも思っている。では自分はまったく偏った考え方をしていないのか、その

自問自答は常に己に課さなければならないことも分かっている。そんな自分に

小説はさまざまな気づきを与えてくれる。」

 長い年月をかけて、人間はこういう認識をするようになってきているのであり

ますね。言いたいことをいって、なにが悪いというのは、その昔でいうと野蛮な

ことであったわけです。文明とか文化ということを学ぶことで、自分のなかの

野蛮と付き合うわけですが、彼らには生産性がないということと、生きている価

値がないといって重度の障害者を殺害することとの間には、ほんの一歩の間

しかないことです。

 「波」に掲載の新刊案内のことを話題とするのでした。

 黒川創さんが「新潮」に連載していた鶴見俊輔さんの評伝ができて、刊行と

なるとありました。 11月30日刊行とのことですから、まだ一月も先のことです

が、どのようなことが書かれているか楽しみです。(連載の時は、一度も見て

おらずです。)

鶴見俊輔伝

鶴見俊輔伝

 

  同じ11月30日刊行ということで、津野海太郎さんの新刊もでるとのことです。 

最後の読書

最後の読書

 

「波」の宣伝文句には、「筋金入りの読書家もついに齢八十。目は弱り、記憶力は

おとろえ、本の読み方・読みたい本も違ってきた。老人になって初めてわかる、これ

ぞ本当の読書の醍醐味」とあります。

 齢八十で、これはちょっと早いんではないかいと思うのですが、「最後の読書」

という題名で、続編を次々とだしてくれたら、うれしいのになと思うことです。

 久世光彦さんの「マイ・ラスト・ソング」のようにであります。

風が強いことで

 昨日からの雨に、強い風がついて、午前中は散々なお天気でした。

 とっても外にでるような気分にはならないことで、月曜のお約束であるパンの

仕込みをしたあとは(自家製天然酵母ですので、じっくり発酵で夕方までねかせ

ます。)、TVでMLBの試合を見ておりました。

 そうこうしていましたら、郵便が出版社のPR誌を届けてくれました。本日手に

しましたのは、新潮「波」、岩波「図書」、朝日「一冊の本」であります。ほとんど

が月末に届くようになってしまいました。月がかわってからお待たせといって届く

のは「みすず」だけでありまして、当方には、このくらいがちょうどいいのでありま

すが。

 本日は、PR誌のページをぱらぱらとめくり、巻末に掲載の新刊案内をチェック

であります。

 岩波「図書」だけは、12月の新刊予定が掲載されていますが、これをみてい

ましたら、そこに岩波らしからぬものがあって、これはどのようなものであるかと

思いました。

 12月19日刊行予定なのだそうですが「伊丹十三選集 1 日本人よ !」と

ありました。伊丹十三の選集が岩波からでありますか。編集者のなかに伊丹

さんの熱心なファンがいるのでしょうか。ちなみに、これの編集は松家仁之

中村好文、池内万平とあります。池内さんは、伊丹さんのご子息ですね、中村

さんは建築家ですが、伊丹さんのファンで記念館の設計をなさったということ

です。作家 松家さんはプロの編集者でありますので、この企画は岩波の

編集者と松家「考える人」さんのコラボでありましょうか。

 当方は、ほとんど伊丹さんの著作を讀むことなく来たのですが、伊丹さん

が編集長をされた「モノンクル」という雑誌を購読していたこともありまして、

ちょっと気になる存在でありました。

 その昔でありましたら、朝日出版社あたりが洒落た選集を作りそうな感じ

でありましたが、まさか没後21年(命日は12月20日とのこと)となって、岩波

から選集がでるとはね。このような企画が通る出版社は、ほとんどなくなって

いるというのが、この選集が岩波からでた背景でありましょうか。

 伊丹さんの著作といえば、何を思い浮かべますか。

再び女たちよ! (新潮文庫)

再び女たちよ! (新潮文庫)

 

 

油断したら

 ちょっと油断をしたら、すぐに体重が増えてしまいます。油を断ったら太るの

は、これ如何にでありますが、もちろん油断は脂を断つことではありません。

2キロほど増えた体重を減らすべく、このところ早足散歩の回数を増やしています。

 本日は13時前から1時間ちょっとの散歩となりましたが、その際に音楽を流し

ていたiPodが突然にフリーズであります。古いクラシックという機種でありまして、

そろそろ文鎮化してもしょうがないのでありますが、4200曲ほどもはいってい

て、シャッフルで聞いていましたら、一ヶ月は曲がかぶりません。あっちをおして

も、こっちをおしてもダメでありまして、これはどうしましょう。

 今朝の新聞広告をみましたら、角川ソフィア文庫の新刊案内がありました。

角川ソフィア文庫は、角川のプレミアム路線でありまして、価格が高いせいもあり

まして、近所の書店には入荷しないことが多しです。最近話題となっている「千夜

千冊エディション」」も、ほとんど見たことがありません。

 今月の新刊で目についたのは、次のものでありました。

本屋風情 (角川ソフィア文庫)

本屋風情 (角川ソフィア文庫)

 

  当方は平凡社からでた元版を購入しておりますが、そのあと1983年に中公文

庫に入って、今回のものは3回めとなるのでしょうか。これがどうしてこの時期に

刊行されるのであるか、これについているであろう解説を読んでみたいものです。

 当方が、この元版をでてすぐに購入したのは、もちろん山口昌男さんのすすめが

あったからであります。(たしか、そのはず。)

「本屋風情」というのは、もちろん貴族院書記官長でもあった民俗学者が、著者に

言い放った言葉を書名としたものです。当時のエリートさんからすれば、出版もす

る本屋の主人なんて、身分が違うということでしょうか。      

 もちろん、その言葉をしっかりと受け止めて、書名としたのですから、こちらも

並のレベルではありませんです。

白黒はっきりと

 本日は午前からMLBの最終シリーズをテレビで見物でした。シリーズの第三戦で、

ロサンゼルスに舞台を移してですが、ロサンゼルスが負けたら、いっきに土俵際に追

い込まれることになります。ボストンには現在日本人選手が在籍していないので、

どうしてもロサンゼルスを応援してしまいます。

 午前はひどい雨となり、ときどき映像が中断でありましたが、なんとかお天気も

好転して、これで落ち着いて見られると思ったら、試合がなかなか決まらずに延長

にはいりました。こうなったら、最後まで見なくてはと意地になってしまったの

ですが、とにかく延長が続きまして、途中でうとうとして眠ってしまったのですが、

目が覚めても、いまだゼロ行進でありました。

 用たしも買い物にもいかず、ひたすら暗くなってもテレビの前にいたのですが、

試合が終わったのは16時半となっていて、試合が始まったが9時すぎでしたので、

試合は7時間半に及びました。それにしても18回までの試合を通して見物したと

いうのは、ほとんど初めてに近い経験でありますね。

 高校野球は、かっては18回までやって試合が決着しなければ再試合というルー

ルでありましたが、当方が浪人生だったときの高校野球三沢高校松山商の決勝

戦がそうでしたが、あれはラジオで聞いていましたが、18回までやっても4時間

16分しかかからなかったとのことですから、本日の試合は当方が中継で野球に

付き合った最長のものでしょうか。

 日本で見ていましたらちょうど日中でありましたが、ロサンゼルスは終わったの

は、日付がかわった翌日の深夜であったようですし、相手チームのあるボストンで

中継を見守っていた人は、ほとんど明け方まで釘付けであったのでしょう。

 世界的に見れば野球というのはマイナーなスポーツでありまして、これをオリン

ピック種目にしようというは、かなりたいへんであったようですが、延長は12回

までとか、そのあとは促進ルールでというのは、本家のUSAの流儀でいくと邪道で

ありまして、とにかく同じようにたんたんと試合を続けて勝敗を決するところに

アメリカの美学があるのでしょうか。

 なんとなく、まあまあそろそろいいではないかといってしまいがちな当方には、

USAという国で勝ち残っていくのは大変であるなと思いましたです。

若くみられたいか

 最近のテレビの広告(BSで夕方にやっている古い再放送にはいるようなもの)

では、さかんに年寄りも若くみられることを持ち上げるようなものがありまして、

そんなに無理することもなかろうにと思うことです。

 年相応ではなく、年より若くみえることは、そんなにいいのかと、若い頃から

年寄りもずっと老けてみられた当方は思うのでありました。二十代の頃に四十代

にみられたのですが、年齢を重ねてきますと、徐々に実年齢に外見が近くなって

きたようであります。最近になって見た目がかわらないねといわれるのは、その

昔からじじむさかったせいでしょう。

 本日に谷崎潤一郎の「初昔」(新書版谷崎潤一郎全集23巻)を読んでいまし

たら、次のようなくだりがあって、苦笑いしながら読んでいました。

「いったい五十歳を老年と云ったのは昔のことで、當世はそのくらゐの年格好が

正しく働き盛り、分別盛りであると云ふ人もあらう。・・今の人が昔の人よりも若い

と云ふのは、主として外貌が若く見えると云ふことではないのか。早い話が私な

どは、上顎にも下顎にも自分の歯は云ふものは何枚も残ってゐず、大部分は義

歯なのであるが、昔であったら安全剃刀などと云ふものもないのであるから、

定めし不性髯をぼうぼうと生やした、歯の脱けた、うす汚いよぼよぼの爺さん

だったであろう。

 つまり、さう云ふ老人の風體こそ偽りのない自分の姿なのであって、颯爽た

る紳士の装ひをしてゐるからと云って壮者に負けない體力があるやうに己惚れ

たら、飛んだ間違ひかも知れない。」

 1942(昭和17)年に書かれたものですから、この時の谷崎は56歳でしょうか。

その昔は、年齢よりも多くみられるのを美徳としたところもあるのでしょう。

森繁などの映像をみていましたら、年齢であることを強調して、自分より若い

女性の同情をかうなんてシーンがありますが、なんとなく谷崎にも通じるような

気分を感じます。

図書館でもう一冊

 昨日の図書館では新刊のところにあった次の本を借りてきました。

文藝春秋作家原稿流出始末記

文藝春秋作家原稿流出始末記

 

 時はいろんなことがあった1968年ではないかといわれています。

どうしたわけか、文藝春秋社が廃棄にまわした作家の原稿が廃品回収業者のところで

仕分け作業が行われているところに、古本屋さんが立ち寄って、文藝春秋の袋に入っ

ている原稿を目にした(のではないかと、著者の青木さんは推測しています。)古本

屋さんは、そうした文学ものに強い古本屋さんに連絡をして、その一部を買い取りし

てもらったのだそうです。

 それが池袋西武で開催の「明治古典会 古書公開展観大入札会」に出品され、こ

の時の原稿が世に出たのであります。もちろん、そこに自分の原稿がでているという

ことを知った作家さんのなかには激怒された方もいたようであります。

 青木さんがこの入札会で落札された原稿についても、いろいろな筋から買い戻し

たいという申し入れがあったとのことです。

 この入札会にでたものは、完全原稿でありまして頭の一枚目から最後まできちん

と揃っているものでしたが、どうやらこれは全体の一部で、原稿の一枚目と最後を

切り取って、誰のどの作品であるかをわからないようにして廃棄にまわっていたも

のが、山ほどあったとのことからが青木さんの出番となりました。

 文藝春秋社の雑誌(「文学界」「文藝春秋」「別冊 文藝春秋」「オール讀物」)

のどれに掲載された、だれかの作品ということから「文学探偵」は捜査をはじめる

わけです。 

 たいへんな労力をかけて引き取った原稿は、なんとか商品にすることができ、

それは売却することもできたのですが、それなりに利益をあげることはできたに

せよ、入札会に出品した古本屋さんが得たであろう利益とは比べようもありません。

 ちなみに入札会に出品したのは鶉屋書店さんと明かしていて、青木さんは、鶉屋

さんについて次のように書いています

「この(入札会)十年後、鶉屋は満を持して終の住処となるレンガ造りの瀟洒

殿堂を建てた。が、好事魔多しで、その建てた三年後の昭和五十六年、鶉屋はそれが

致命傷となる脳こうそくに倒れる。長い療養のあと鶉屋はこの世を去る。この辺り

私は『ある古本屋の生涯 谷中・鶉屋書店と私』として本に書いている。本の売れ

なくなった今でもこの本だけは古書価も高い。」

 鶉屋さんという古本屋さんは、当方には縁のない古書を扱うお店でありまして、

最近になってその存在を知ったのですが、知った時にはすでに店はなくなっていた

ようです。

ある古本屋の生涯―谷中・鶉屋書店と私

ある古本屋の生涯―谷中・鶉屋書店と私

 

 

ちょうど読んでいたら

 このところふとんにはいってからは新書版「谷崎潤一郎全集」第23巻を手にし

ています。そのなかに「初昔」という作品があって、これを読んでいましたら、

谷崎の娘 鮎子さんの婚約についての話がでてきました。

「鮎子をゆくゆく佐藤春夫の甥に當る龍児にめあはしたらと云ふ話が始めてあった

のは、その頃のことだったと思ふ。當時は正式に申し込まれた譯ではなくて誰かを

介してふっと私の耳に這入って来たのであったが、私にはそれが、まだその時分は

七十歳の高齢で紀南の下里に隠棲してゐた故懸泉堂老人、 春夫の父に當る人

の、佐藤家と谷崎家との行き係りを考へ、淋しい育ち方をした龍児と鮎子の相似た

身の上を考へ、双方の親たちの幸福までを考慮にいれた思ひやりのある計らひで

あることがほぼ察しがついた。」

 谷崎は妻である千代との間に娘 鮎子さんを設けるのですが、生まれてまもなく

別居状態となり、その後において谷崎、佐藤春夫との間で千代夫人の譲渡という話

に進展するわけです。

 谷崎と正式に別れてからは、千代夫人は娘とともに佐藤春夫と暮らすようになり

ます。こうして「二人とも数年前から小石川の春夫の家に置いて貰って通学しつつ

あることだし、してみれば互に気心も分かってゐる筈だし」ということになりです。

 その龍児さんは、佐藤春夫の姉の子で、龍児さんの姉は三好達治の妻君であっ

たという関係になります。なかなか大変そうな家族関係でありますね。

 そんなことを思っていましたら、本日に立ち寄った図書館で、谷崎潤一郎書簡集

を目にすることができました。これはタイミングがよろし、早速に借りることになり

です。

  谷崎の書簡集は、これまでにもでているのですが、この一冊はほとんど離れて

暮らした娘への書簡でありますからして、マゾヒスト谷崎は姿を見せることがない

でしょう。