本日は祥月命日で

 本日は夜明け前には氷点下でありましたが、朝日が昇ってきましたら、

気温はプラスに転じ、すごしやすい一日でありました。例年でありましたら、

この時期が一年で一番気温が下がるのでありますが、今年はこれからに

なるのでしょうか。

 そして本日は亡父の祥月命日でもありました。亡くなったのは2006年の

ことになりますので、すでに20年が経過であります。

 亡父は1920年生まれとなりますので、昨日に話題した安岡章太郎さん、

石垣りんさん、森光子さんなどと同じ年生まれです。安岡さんは、父親が

陸軍の高官でかなり恵まれた家庭の生まれでありましたが、石垣さん、

森さんは、決してそうではなかったでしょう。(しかも女性であるというハンデ

があって。)

 亡父は父親が商売に失敗し、失意のなかに亡くなって、4歳年長の兄が

小学校をでるかでないかで奉公にでて一家の暮らしを支えたというのです

から、小学校高等科に行かせてもらっただけでも感謝しなくてはという子ど

も時代でありました。

 こんなんでは、どんなに小学校の成績が良くても旧制中学に行くなんて

ことは出来なくて、たぶん自分よりも成績がよろしくない人が上級学校へと

行くのを悔しい思いで見ていたんだと思います。

 すこし仕事についていたときに、かっての恩師から代用教員の口がある

けど応募してみるかと声がかかって、僻地の小さな小学校の教師となった

のが、次のステップとなり、そこから教員養成所へと進学して、正規教員の

資格を得たということで、生活も安定したようです。

 背景には戦時下で人材不足に陥っていた社会があって、それのおかげ

で定職につけたというのですから、これは複雑でありますね。自分は視力に

問題があったために、徴兵試験には受からずでありまして、自分が教えた

子どもたちは戦地へと行って亡くなった人もいたことから、そうしたかって

の教え子が外地から送ってきた軍事郵便などを捨てずに保管しておりま

した。

 戦時下の青年学校教員でありますので、当然のこと、これから検査を

受けて良き兵隊となるための事前教育のようなものでありまして、そうし

た負い目をもちながら、戦後の社会を生きていたのだと思うことです。

 亡父がずっと捨てずに持っていた本のなかに早稲田講義録というのが

ありまして、当方が子どもの頃には、これは何だろうと思ったものです。

 先日から手にしている「立志・苦学・出世」のなかには、こうした講義

録について一章がさかれています。

「どのような人がどのようにしてこのような講義録を利用したのだろうか。

それを明治40年ころ講義録で独学した少年の例でみよう。

 『私の少年時代は赤貧洗うがごとき家計であった。尋常小学校を卒業し

てから高等小学校までは通った。しかしそれ以上の教育は無理で、村に

近い久留米の活版屋の小僧となった。学問したさに大日本国民中学会に

入会した。しかし日給10銭で食事代にも事欠くありさまだったから、当時の

会費40銭が続かなかった。やがて村役場の書紀となり、多少余裕ができ

たので、再び会員になった。』

 この体験談は上級学校進学を閉ざされた高等小学校卒業生がこの種

の講義録に活路を見出したことを示唆している。・・地方に留まらざるを

得ない高等小学校卒業生こそ講義録の主な読者だった。」 

 亡父が講義録を活用して学ぼうとしたのは、代用教員から養成所へと

入るための試験を受けるためであったのでしょう。これは明治の話では

なくて、昭和15年くらいのことになりです。

 こうした時代に育った世代からしますと、学校に行きたくてしょうがな

かったでしょう。家にいましたら、とにかく仕事をさせられるのであります

から、今の子どもたちにおきている学校へ行きたいが行けないという現象

には理解できるはずもなしです。