8月に読む12月の記録

 お盆に向けて、すこし片付けを行うようにとの厳命であります。

 片付けというのは、結局のところ何かを捨てるということでありまして、なか

なか捨てることのできない当方は片付けが苦手であります。

 物を捨てずに取っておくというのは、当方に始まったものではなくて、当方の

両親にもその傾向がありです。一昨年に母が亡くなって、その遺品整理のなかで

古い書簡などがたくさんでてきて、さてこれはどうしたらいいかと思うことです。

戦時中のものなどもたくさんあって、これはなんとか目を通したいのであります

が、いつになったらできるでしょう。

 父が残した記録などもありまして、本日はすこしそれを見ておりました。

昭和17年12月に教育実習を行った時の日誌となります。

元々、父(1920年生まれ)は生家が商売に失敗して没落し、やっとこで高等

科を終えて、働き始めたのだそうですが、虚弱ということもあって、あまり役に

立たず、見かねた小学校の恩師が代用教員にと声をかけてくれて、田舎の学校で

教員生活をスタートすることになったのだそうです。

 その後、やはり勧めてくださる方がいて、青年学校教員養成所に進んで、それ

で戦時中に正規の教員になることができたわけです。

 貧しい家庭の子弟にとって、進学は夢のまた夢でありましたので、父は家族の

支援や周りの人たちの支えで、ずいぶんと恵まれたところに出ていくことができ

ました。

 その背景は、戦時下にあって若く健康な男性は出征して不足したということが

あります。(父は目が悪くて徴兵には引っかからなかったようです。)

戦時下の青年教育でありますからして、当然のこと皇民教育でありまして、当時

の父はガチガチの軍国青年であったのでしょう。(それ以外の選択肢は、なかった

でありましょう。後になって考えても、自分が現在このようにしていられるのは、

戦時下教育制度のおかげであったと思ったかもです。)

 当方などが物心ついてからは、温和な平和主義者であったのですが、ついぞ戦時

中の行動などについて聞くこともなかったことです。

 世間では、戦時下教育においてガチガチの軍国主義者であった教員が、戦後に

手のひらを返したように民主主義を礼賛(またはソビエト連邦への共感)したと

いって、批判するのでありますが、このような人間模様は、現代にも見られるこ

とであります。

 ちなみに昭和17年12月8日火曜日、吹雪 気温3度の記録には次のように

ありです。

「本日は大東亜戦争第一周年目なり 思へば昨年の本日放送を聞いた時のあの

感激、あの興奮を今も尚目のあたりに思ひ浮かべることが出来る。・・・

世界歴史に永遠に記載さるべき、この偉大なる業績は実に一ヶ年にして行なは

れたものであることを知るとき、今更ながら皇軍に対する深甚なる感謝と、此の

神国の此の聖代に生れ合わせた幸福に感謝するのみである。」

 この時、父は22歳でありました。