本日はすこしあったかな日中に火の気のない隣家で調べものをすることに
です。調べていたのは、明治時代にこの町で生まれた男性の足跡でありまし
て、明治17年の生まれとかで、それはいったいどういう時代であったのさと
思うことです。
ほぼ、当方の父方の祖父と同年でありますが、祖父は30代で亡くなって
いるため、祖父から昔はなしを聞くということは出来ずでありました。
祖父の時代には、すでに小学校なども出来ているのですが、果たして祖父は
小学校に通うことは出来たのかなと思うことです。それこそTVでやっている
ファミリーヒストリーでありますが、自分のことは調べても、そんなに楽しくは
ならないのでして、やはりよそ様の戸籍を許しを得て見せてもらうのが一番
であります。(なかなか戸籍を見ていいよという方はいないのですが。)
そんなこんなで、すこし日が落ちてきて、室内の気温が下がってきました
ら本日の作業は終えることにしました。(この調子でいくと、いったい調べ終え
るのに、どのくらいの時間がかかることか。)
そのあとは、四方田犬彦さんの「零落の賦」を読むことにです。本日は
「バスター・キートン」についての章をのぞいておりました。
名前は良く聞くのですが、ほとんど映像は見たこともない「キートン」でありま
して、 当方には「益田喜頓」と山口昌男の著作で名前を知るのみであります。
(今はyou-tubeで見られるのでしょうが、それも怠っているのですが。)
バスター・キートンは無声映画時代に全盛期を迎えたのですが、トーキー
時代に適応することをよしとせずで、結局はハリウッドから放逐されることに
なったとあります。これがバスター・キートンの零落となります。
「ひとたびハリウッドから放逐され、スターの座から追われたキートンは、こう
して五十年代にはTVという新興のメディアに新境地を見出し、六十年代には
ベケットと組んで前衛映画に関わった。そして遺作同然となった作品のなかで、
無声映画俳優としての自分のこれまでの経歴を全肯定し、次の世代の映画人
たちからそれにふさわしい尊敬を受けた。同時期、パリでは、ヌーベルヴァーグ
世代の映画人たちが、いっせいにキートン支持を打ち出していた。・・・
実は映画にはハリウッド映画とは別の回路があり、その回路を辿ることに
よって、ハリウッドがひとたび喪失した無声映画の富を回復することができる
という真理を、みずから証明してみせたのである。」
日本でも映画といえば五社の時代というのがあって、それ以外はゴミの
ように扱われていましたが、今は昔の話となります。五社から離れて零落し、
その後独立プロで復活した俳優さんもいることです。
