これから出す書物

 昨日に引き続いて四方田犬彦さんの「零落の賦」を話題にします。

 昨日に話をしていた四方田通の畏友と、その前に話をしていた時のことであり

ます。四方田といえば、随分と前の分厚い本で「これから出す書物」というのを

発表していて、このリストにある書物は、現実にそのあと形になっているよねと

いわれました。

 分厚い本といえば、当方も買うだけは買ったのでありますが、さっぱり読むこと

が出来ていないなでありまして、これはそのうちに読まなくてはいけないと思った

のであります。

 ちなみにその分厚い本は、2000年に出ました「マルコ・ポーロと書物」のこと

ですね。いまは無くなってしまった版元であったように思いますが、なるほどその

巻末には「これから出す書物」とありました。

 このリストには18のタイトルが上がっていて、そのなかにはすでに版元との間

で話がついているものもあったようですが、これはどのくらい出されたのであり

ましょうね。さーっと見たところでは、ほとんど形になったようでありますが。

 四方田さんは、これから書きたいと思っているテーマを、自分の文章の中で

アナウンスする人なのですね。ほとんどの人は読んでスルーしてしまうので

しょうが、どこかで書いていたりです。

 ということで、2023年になって連載の始まった「零落の賦」についてでありま

す。これもどこかで予告されているのではと思っていましたら、たまたまという

か、偶然にもそれを記しているくだりに遭遇しました。

 ずっと前から図書館から借り続けている四方田さんの「人、中年に到る」を

読んでいた時に目に入りました。このタイミングでなくては、スルーしていたで

ありましょう。

 この本には、次のようにありました。

「わたしにも人並みに、いつかは書いておきたい書物というものがないわけでは

ない。手近なところでいえばそれは切手蒐集をめぐる書物であり、ニーチェ

イタリア滞在の体験とその意味をめぐる書物である。

 またルイス・ブニュエルのフィルムに関する書物である。もしわたしに充分な

視力と気力が今後も与えられることになれば、それらは執筆できるかもしれない。

しかし執筆されずに終わるかもしれない。だが真にわたしが書いておきたい書物

は、人間の零落をめぐる一連のエッセイである。もっともこれを成し遂げるため

には、わたしに絶対的ともいえる条件がまだ欠落している。わたしは晩年の

オスカー・ワイルドのように、生涯の零落を身をもって体験しないかぎり、それ

に着手することができないだろう。だが真に零落した者の書いた書物など、誰が

手にとって読むことがあるだろうか。」

 長い引用となりましたが、これは「功名心について」というエッセイの最後に

おかれたくだりです。

 「人間の零落をめぐる一連のエッセイ」というのは、まさに今回に始まりまし

た「零落の賦」でありまして、ということは四方田さんは「生涯の零落を身を

もって体験」したのでありましょうか。