ちょうど一年か 網野菊

 本日は、午後に図書館から借りている網野菊さんの本を読んでおりました。

網野さんの本を読んでみようと思ったのは、山田稔さんが「もういいか」に収録

の「雑々閑話」のなかで話題にしているのを見たからであります。

 旅先の古本屋で網野さんの講談社文芸文庫の「一期一会・さくらの花」を見つ

けて購入し(これが、昨年の11月19日でありましたので、ちょうど一年前か)、それ

から図書館本を借りたのですが、現在流通している網野さんの唯一の本でありま

しょうが、これが文字が小さなこともあって、すこし読みにくいものであります。

 こちらの本では読みやすいものから読んでみたのですが、そのなかに網野さん

が師と仰ぐ、志賀直哉のところを初めて訪ねる話がでてきます。東京の震災の年と

ありますので、1923年のことですね。網野さんは1900年生まれですので若い。

 その時に、網野さんは志賀先生に読んで戴けたらと思い原稿を持参することに

です。

「おいとましがけに、私は、『原稿を見て戴きたいのですが』と思い切って申上げた。

『三十枚位のものなら見てもいい』とおっしゃったので『五十枚ばかりだと思いま

す。』と言った。」

 ということで、志賀先生のところに原稿百五十枚の小説「光子」をおいてくる

ことになったのだそうです。(作品の枚数を違えていたのは、違う作品を持参した

と思いこんでいたからですが、それでもおいていってよいといってもらえたのだそう

です。)

 この作品が、しばらくしてから志賀先生から中央公論社へとまわって、大正15

(1926)年の中央公論2月号に掲載となったとあります。

 これが網野菊さんのメジャーデビュー作となったことになりです。

 この京都に志賀直哉を訪ねる「震災の年」というのを読んだら、これは「光子」

を読まなくてはという気分になったのですが、これを未知谷のアンソロジーで読も

うと思ったのが苦戦の始まりでありました。(この「光子」は、文芸文庫にも入って

いるのでありまして、こちらで読んだほうがよかったのかな。)

 この作品が書かれたのは大正11年くらいとありますので、すでに百年も前の

作品となります。当方が20歳頃に百年前に書かれた小説といえば、明治の初め

ころのものでありましたので、それこそ文語体小説ばかりで、ほとんど読むことが

できなかったことを思いだすことです。

 最近の若い人(といっても40代前半くらいの人)は、網野菊さんの小説を

読んだらどういう感想をもつだろうかと思うことです。

 網野さんには、「一期一会」「イワーノワさん」というような、今読んでもあまり

違和感のないものもありますが、彼女の母ものは、家族関係があまりにも変わっ

てしまったこともあって、心の動きがわかりにくいことでありましょう。

当方の年代でもそうなのでありますからして。