年をまたいで一ヶ月以上にわたって図書館から借り続けている佐久間
文子さんの「美しい人」は、そろそろ区切りをつけて返却するかなです。
「佐多稲子の昭和」という副題がついているのですが、昭和をずっと
小説を書いて過ごした稀有な作家の評伝で、当方は佐多さんの作品を
ほとんど読んでいないのでありますが、当方にとっては重要な作家さん
でありまして、佐多さんの作品は、すこしでも読まなくてはいけないなと
日頃から思っておりました。
そこにこの本でありまして、これは借りて読まない手はないなと思ったの
であります。佐多さんの世界で一番難しいのは、共産党をめぐるあれこれで
ありますが、なんとなくノンポリそうな佐久間さんは、そこんとこどうするのか
なと思っていて、この本をすでに読んだよという人に、佐久間さんで大丈夫
かなときいてみたら、そのことはあとがきで佐久間さんも書いているわと
返ってきました。
「調べても調べてもわからないことがあり、ひとつ調べ終わるとさらに調べる
べきことが増えていく。ようやく戦争の章を書き終えると次は共産党内部の
分裂の話に差しかかって、ここもまたわからないことだらけだった。いまに
いたってもわからないことが多いし、佐多稲子の戦争責任をどう考えるかに
ついても結局、はっきりした答えは出せていない。」
共産党内部の分裂のことは、中野重治さんの小説のテーマの一つにも
なっているのですが、当方にしたら、そんなに昔の話ではないのに、まるで
わからないのですね。それから波及して新日本文学会も分かれていくので
ありますし、その流れのなかには小沢信男さんなども巻き込まれていくの
ですが、小沢さんが新日本文学会の事務局を担っていたときには、すでに
共産党系の人たちは脱会したあとであったでしょうか。
佐久間さんの本を読んでいても、宮本百合子と佐多稲子の関係のしん
どさであります。
「新日本文学会創立の経緯や百合子からの批判を考えるとい複雑な思い
もあっただろう。自分としては大変面はゆい思いがある、と言い『あるときは
たいへん近く、あるときは疎遠に二十年ばかりの間を経てきた』とふたりの
関係性を表現した。」
佐多さんが、宮本百合子の葬儀委員となったことについてあった記述
です。
当方が、この本で一番残ったのは、先月にも記した「佐多さんの怒り」と
あるところで、高杉一郎さんに言及していることですが、これも高杉さんが
そこまでしたということがわからないことでありまして、わからないことは、
わからないというのでいいのでありましょう。
それにしても、佐多さんの人生のなんと波乱万丈であることかで、小説よ
りも奇なりであります。