本日は夜になって岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」に連載されて
いる佐藤正午さんの「小説家の四季」を読んでみることにです。
佐藤正午さんの「小説家の四季」はまとまって単行本になりましたら、買う
ことにしているのですが、これがまとまるとちょっとボリュームがあって、うまく
読むことができないことが続いています。
そんなわけで、これはWEBでの連載中に読むようにしなくてはと思ったわ
けです。すでに連載は43回目となっていて、15回からはまだWEB上で閲覧が
可能ですので、いまのうちにすこしでも消化しておきましょう。
未読の古い方から読むか、新しいほうから遡るかと迷いましたが、一番新しい
のをまずは読むことにです。
これは今年の1月15日にアップされたものになります。書き出しは次のように
なっています。(この連載は、縦書き表記となっています。)
「では記憶の摺り合わせいきます。
いまからおよそ四十年前、佐藤正午のデビュー作を世に送り出した編集者の
山田裕樹さんの記憶と、佐藤正午本人であるぼくの記憶がどのていど食い違っ
ているか、山田さんが昨年『図書』に寄稿したエッセイをもとに見ていきます。」
このエッセイのことは、昨年7月にこの場で話題にしておりました。
vzf12576.hatenablog.com ということで、佐藤正午さんは、山田さんの書いたエッセイに書かれている
ことを引用して、自分の記憶とここのところは違うなというとこを記している
のですが、どちらが正しいとか間違っているという話ではなくて、人間の記憶
の面白さについてであります。(それこそ40年前の話を、当時の仲間と語り
合うとまるで違った話がでてくることがあったりで、どうしてそのことを自分は
知らなかったのだろうというような)
佐藤正午さんは、最新の山田裕樹さんを話題にする前に、何回か続けて
文芸誌「すばる」の編集者のことを話題にしています。
この二人の編集者さんは、佐藤正午さんにとって最初の編集者となるのです
が、山田さんは名前がでて、「すばる」のほうの編集者は「彼」となっていて、
これはどうしてでありましょう。
文芸誌「すばる」のすばる文学賞に応募したことは「正午派2025」をみます
と1983年3月のこととあります。これを参照しながら、WEBマガジン「小説家
の四季」の「すばる編集長」のところを読み返すようにしてみることにです。