購読している新聞の読書欄の「著者に会いたい」というところに、「町の本屋
という物語」の奈良敏行さん(肩書は定有堂書店元店主)が紹介されていまし
た。ちょうど、この本を図書館から借りておりましたので、これはタイミングよろし
と目を通すことにです。
そう思っていたら、本日の地元紙読書欄にもこの本の評が掲載されていまし
た。地元紙の評者は古本とビール・アダノンキ店主である石山府子さん。
同じ独立自営の先人へのリスペクトあふれる、良い評であります。
これの書き出しのところに「青空」があらわれます。
「なぜ人は本を読む必要があるのか。町の本屋の存在意義は。本が売れなくなっ
てから古書店を開いた私にとっては、当初からずっと通奏低音として鳴り続いて
いる課題である。
そんなうつうつとした問いを晴らすような『本屋の青空』という言葉に出合った。
鳥取で1980年に開業し、昨年に惜しまれつつ閉店した『定有堂書店』の店主
が、町の本屋の気概を例えた言葉である。」
先日にこの本を手にした時には、「本屋の青空」という言葉があるのも見逃し
でありまして、まったくもうです。
そういえば、購読新聞の書き出しも、これでありました。
「表紙の裏に、鮮やかなブルーが広がっている。見返しの色は、著者が好んで
語る言葉を映している
本屋の青空
書棚を前に時を忘れ、遠くに思いをはせ、心が無限に広がる気分のこと。こう
いう生き方もあるのか・・・と重荷を下ろせるような。訪れる人にそんな見せ方を。」
当方は定有堂書店のことはまったく知らなかったのですが、ここの店主は
「商店十年説」を唱えていたとのことで、変化しながら生き延びてきたとのことです。
なるほどなこのようなお店は、店主の個性が直接に表出しますので、店主の
かわりを得ることはできないですね。当然のように一代かぎりでありまして、蔵書
だけでなく、セレクト本屋も一代かぎりとなるのは避けられないようです。
そんなことを思いながら、「本屋の青空」を探してみるように本を読んでみるこ
とをしましょう。