夕食後に所得税確定申告の下準備を行うことにです。今年は所得税の還付は
ないのかなと、それだけを楽しみに所定の書式に金額を入力することにです。
医療費控除もあるしなと思ったら、医療費は基準額に到達せず、控除対象には
ならず、結局は源泉徴収では不足で、追い金が発生です。
これを確認しましたら、急にe-tax画面にむかう気分がなえてしまったことです。
それであれば、3月になってからでもいいわいであります。
窓から外を見ましたら、激しく雪が降っておりました。あっという間に積もっていて、
この調子で降り続いたら、除雪は大変なことになるぞと、ちょっと外にでて雪かきを
することにです。このあと休む前に、もう一回除雪をしたらいいのかどうか、23時過ぎ
に確認することにいたしましょう。
ということで、昨日に続いて「杉浦康平と写植の時代」を手にすることにです。
本日に目にしていたところには、津野海太郎さんの本からの引用がありです。
これは津野さんの「おかしな時代」からとあります。津野さんが「新日本文学」の
編集者であった時に、その表紙を担当した杉浦康平さんのデザインワークについ
て記したところが引かれています。
杉浦さんが担当したの1964年から66年までの二年間でありますが、ここには、
その後の杉浦さんの手掛けた雑誌の萌芽が見てとれますね。
津野さんの言い方を借りると、次のようになります。
「タイトル文字のサイズを小さめに統一したり、逆に写真やイラストレーションを
大きく裁ち落としでつかったり、それだけで、やぼったい左翼文学雑誌がたちまち
欧米のリトルマガジンのようなすっきりと知的な感じになる。いやはや、デザイナー
が交代するだけで、雑誌というものはこんなにもはげしく変貌してしまうものなの
か。」
この津野さんの文章を受けて、著者の阿部さんは、こう書くのですね。
「杉浦はこの時期に、『新日本文学』や『SD』をはじめとする、文芸、建築、音楽、
前衛芸術の分野の書籍や批評誌への関わりを通じて、デザインが造本に対して
積極的に介入することの有効性を、その作品的な強度で社会に説得してみせた
のだ。」
このあとに杉浦康平さんのスタイルであるところの「グラフィックではなく、
文字を中心的な要素に、そのなかでも特に日本語表記を活用して、洗練された
デザインを実現した」雑誌が、次々と世にでることになります。
70年代後半から80年代にかけての「エピステーメー」「遊」「パイディア」で
ありますが、当方もこれらは一冊は保存しておりますね。
こうした「文字を中心的な要素に、そのなかでも日本語表記」というのが、
杉浦さんの手法で、それを容易にしたのが写植であったというのが、うっすらと
わかってきましたです。