受けをねらって

 そういえば、今月の「本の雑誌」が届いておりました。

 今回の特集は「平凡社は本当に平凡なのか?」であります。

 この特集の冒頭に置かれているのは荒俣宏さんへのインタビューでありますので、

当方よりもすこし若い人むけての特集となるようです。

 「私の平凡社本オールタイムベスト3」で取り上げられているものも、当方の感

覚ともちょっと違うことです。

 まあ当方の「オールタイムベスト」といえば、ほんと語るに落ちるでありまして、

面白くもなんともないことです。ほんと二十歳頃に出会って、それから半世紀であ

りますか。

 こうした当方の好みに近い発言をしていますのは、「平凡社は世界である!」と

いう対談での山本貴光さんのものです。

「『世界大百科事典』の編集をした人の中に、林達夫加藤周一のように、それこ

そ百科全書派と言いたくなるような知識人がいたわけですよ。こういう知識人がも

う日本語圏にはほぼいなくなったというか見当たらなくなって久しいわけだけど、

そういうイメージが平凡社にはあった。この二人については平凡社から著作集が

出ていて、『林達夫著作集』と、加藤周一も全二期で著作集が出ています。」

 林達夫著作集を抜きに、当方の二十代前半は語ることはできないのですが、これ

は耳たこでありまして、これから派生した「思想のドラマツルギー」とか、「現代

人の思想」というシリーズの何冊かは平凡社でありますね。

 ということで、ここで思いっきり受けをねらってでありますが、今回の特集にも

「月刊『太陽』繁盛記」で登場する嵐山光三郎に関してであります。

  嵐山さんは、もちろん平凡社のOBでありまして、編集者としては本名で仕事を

していたのですが、嵐山のペンネームで雑文から小説などを書いていたのでありま

した。

 平凡社時代に関しては「口笛の歌が聴こえる」に描かれています。

 今回の「月刊『太陽』繁盛記」では、次のように描かれている時のことです。

「36歳(1978)で、月刊『太陽』第七代編集長となった。編集に専念する

ため、自発的に筆を折った。死ぬほど働いて『太陽』発行部数を伸ばしたが、

1981年、『大百科事典』の売り上げが急落して経営危機におちいり、S銀行に

介入されて希望退職を募った。240名いた社員のうち三分の一にあたる80名が

退職した。ここあたりまでの事件簿は『口笛の歌が聴こえる』に書いた。」

 「太陽」は祐乗坊編集長のもとで、部数を伸ばしていたのですよね。

 なにやら無茶な企画などもありまして、編集部あてに年賀状をくださればもれ

なく編集長が自筆のお返事を差し上げますというものでした。

 それに面白がって、当方は年賀状をおくり、自筆のお返事をいただいたという

のが、本日の話題となりです。

「太陽」編集長からの年賀状 1981年正月

 年賀状にある「ピッキーとポッキー」は安西水丸さんと一緒に作った絵本で、

1976年のもので、嵐山名義で一番早いものです。

 いったいどのくらいのお返事を書かれたのか、それから間もなく祐乗坊編集長

平凡社を離れることになりました。