平凡社つながり 4

 当方は手にしたことがありませんが「平凡社60年史」という社史があります。1974年
に刊行されていますが、これが「筑摩書房の三十年」のようなものでありましたら、
もっと話題になっているでしょうか。「筑摩書房の三十年」は、巻末に社員名簿があり
まして、これが興味深いものでした。「平凡社60年史」にも社員名簿がありましたら、
これは即刻購入でありますよ。それくらいに、平凡社は多士済々でありました。
 74年には、かってのさむらいたちの大半が会社を去っていたかもしれませんが。
平凡社」で役員までになって、その後「平凡社における」という著作を発表している
大原緑峯こと大沢正道さんは、74年には相当にお偉かったはずであります。
平凡社アナーキスト一人というと、これは大沢さんしかいないでしょう。
アナーキストが出版社の編集局長、出版局長を歴任というのが、平凡社らしいとこ
ろです。)
 大沢さんは多くの著作がありますが、「平凡社つながり」でいきますと、「平凡社
おける人間の研究」となるかもしれません。この本は、下中社長と小林祥一郎さんに
批判がむけられていますので、小林さんの本とあわせて紹介するのは、ふさわしくない
ものですね。
 小林さんの著作には、「わたしの退社前後の平凡社について、元役員だった同僚が、
二冊の本をだした。奧付に、『大原緑峯(実ハ大沢正道)』という変わった署名がは
いっている。これは『大沢正道(実ハ大原緑峯)』としたほうが、本の内容にふさわし
いと思う。・・・大原さんは、平凡社の失敗を、あげて下中邦彦さんと小林祥一郎
わたしの愚かな行動に起因していると非難する。書かれた側からいえば、これはあまり
に誤解や歪曲の多い、ゴシップ風の経営暴露ものである。」とあり、金持ちけんかせず
の雰囲気です。
 ということで、大沢正道さんの本からは、平凡社経営陣への批判ではなく、人のつな
がりを見てみましょう。
 大沢さんの本には、大沢さんが平凡社に入社にいたる経緯が書かれています。
「 わたしは『哲学事典』の仕事で、昭和27年に入社したのだが、『哲学事典』の編集
委員は串田孫一久野収野田又夫山崎正一の四氏で、山崎氏はわたしの大学時代の
恩師だった。
 といっても、わたしは山崎氏の口利きで平凡社に入ったのではない。就職のルートは
別で、わたしが師事していた石川三四郎氏を通して、大宅壮一氏に口を利いてもらい、
たまたま『哲学事典』の企画が進行中だったので、うまい具合に滑り込めたわけだ。」
 石川三四郎から大宅壮一氏の口利きでありますが、これは当時の下中社長へと話が
いったのでありましょう。
 この時代の平凡社には、戦前であれば非国民といわれた人たちがたくさんいたよう
であります。