しみじみ読了

 嵐山光三郎さんの「漂流怪人・きだみのる」を読んでおりました。
 嵐山さんが雑誌「太陽」の企画を依頼するために八王子市に住んでいたきだみのる
さんを編集長と一緒に訪ねたのが、きださんとの初対面で、その時嵐山さん28歳で、
きださんは75歳とあります。
 この企画とは、嵐山さんの説明によると「きだ先生に、北海道から沖縄まで日本列
島の小さい村を旅していただいて、村の人々生活や習慣を採集するものです。1色グラ
ビアで、原稿は一回15枚くらい。」となります。
 この説明に対して、きださんは「それは手紙に書いてあったから、わかっておる。
原稿料と取材費はいくらかね。」と返すのでありますね。これがきだみのるさんであ
りますね。
 この連載は、「太陽」の1971年7月号から翌年6月号まで続き、そのあと1973年11月
平凡社から「ニッポン気違い列島」(日本語変換できちがいというのは、漢字変換
できないようになっているようですね。これはATOKだからで、ことりえは候補の最後
のほうにありました。まあ使ってくれるなということでしょうね。)という本になっ
ています。

ニッポン気違い列島 (1973年)

ニッポン気違い列島 (1973年)

 このころは、きだみのるにとっては一番良い時代であったのかもしれません。
嵐山さんの本でも触れられていますが、次々と新刊がでていました。
「『太陽』の取材は沖縄で終り、次作『人生逃亡者の記録』(中公新書)を執筆中で
あった。翌年からは月刊『旅』(日本交通公社出版事業局)に『新放浪講座』を二年間
連載することになっていた。」
人生逃亡者の記録 (1972年) (中公新書)

人生逃亡者の記録 (1972年) (中公新書)

新放浪講座 (1975年)

新放浪講座 (1975年)

 ちょうど当方が、学生から就職するころにでたものでありました。なにがきっかけで
きだみのるの著作を手にするようになったのか、まるで記憶がないのでありますが、昨
日にも記しましたが、岩波「図書」に掲載の文章によってでしょうか。
 嵐山さんの本には、次のくだりがありです。
「借金の達人であった。しょっちゅう前借りをした。まずは出版社で、なかでも岩波書
店に借りまくった。」
 これはいつ頃のことか、記されていませんが、当方が読んだと記憶している「図書」
の文章も、そのようななかで書かれたものであるのかもしれません。
明日は、もうすこしきださんの本を探してみることにいたします。