先日に絲山秋子さんの新作短編を読んでみようと思い、図書館から「文學界」を
借りたのでありますが、久しぶりで文芸誌をのぞいてみることになりました。
当方の行きつけの本屋さんには文芸誌なんて並ばないので、ふだんは新聞広告で
どんな人が寄稿しているのか見るだけで終わっています。図書館に行かなくては、
文芸誌もチェックできないというのが、当方の現実ですね。まあ図書館で手にする
ことができるだけでもよろしいのかな。
ということで、「文學界」3月号の目次を開いて、せっかくだから何かほかに
気になるものはないかとチェックすることにです。
そうしましたら、「西村賢太一周忌 古谷経衡 『蝙蝠か燕か』論 西村賢太の
『現代編』」というタイトルが目につきました。
そうだ、西村賢太一周忌を文芸誌でとなると、「文學界」が一番ふさわしいこ
とで、その書き手として古谷経衡さんというのが、意外でありました。
古谷さんという書き手のことは承知していましたが、なかなか小難しいことを
宣う北海道出身の人くらいに思っていましたが、そうなんだ数年前から西村賢太
作品にはまっていて、それは西村さんの知るところにもなっていたのですね。
「文學界」掲載の文章の書き出しには、次のようにありです。
「平生から私は西村賢太先生のことが好きで好きでたまらないと様々な媒体で
公言しているせいで、先生関係の記事を書いたり、畏れ多くも先生ご自身によ
る愚僧への指名により書評(『瓦礫の死角』文學界 2020年3月号)を
やらせていただくことがあったわけだが、訃報から一年経って未だ気持ちが
再建されていない。それども逼塞しているだけではどうしょうもないので、
せめても没後布教者にならんと思い、・・文庫版で大きく買い込んだ。」
ということで、西村賢太信者を増やすための布教活動のために聖典を買い
込んで、これはと見込みのありそうな人に、プレゼントするためいつも持参
しているのだそうです。
ちなみに没後布教者である古谷さんの西村世界への入門聖典は、「小銭を
数える」だそうです。ずぶの素人である方には、秋恵ものがいいだろうとの
ことで、これには当方も同感でありますね。
町の本屋に、西村賢太さん「小銭を数える」の文庫本がありましたら、そ
の本屋さんは、そこそこ目利きでありますよ。