片づけをすると

 先日に来客があるということで、居間に積まれていた本の山を段ボールに入れ

て、ほかの場所に動かすことになりです。やみくもに箱にいれるのですから、時

間がたちますと、どこにおさめたかわからないようになります。

 こういうこともあって、当方は片付けが好きではありません。他の人たちから

しますと雑然となるのですが、当人はあの山にはあれがあって、こちらにはこれ

があるというふうに記憶されているのですね。

 これはいわゆるゴミのなかに埋もれて暮らしている人が一応にいうことであり

まして、これじゃいけないと思ってはいるのですね。

このところ、いちばんどうしようかと思っているのは、「図書」「ちくま」という

出版社のPR誌でありまして、「図書」はたぶん半世紀分くらいは保存していま

すし、「ちくま」は創刊からほぼ保存されているという、なかなかレアなコレク

ションになっています。

 「ちくま」は過去に一度だけ貸し出しをして喜ばれたことがあったのですが、

今どきの図書館などでは、受け入れもしてくれないでしょうから、どこかこうい

う資料を喜んで受けてくれるところはないかなと思うことです

 「図書」なども、ここからは多くの書籍化された連載や、記憶に残る文章が掲

載されていまして、古いのを見ていましたら、中身が濃いのでありますね。

 先日に安価で購入した大江健三郎さんの「最後の小説」という文庫本にも、

初出が「図書」となっている文がありまして、その一つは林達夫さんが亡くなっ

た時のものでありまして、これはその時の「図書」(1984年8月号)で読んでい

るのは間違いないのですが、きれいさっぱりと忘れておりました。

  林達夫さんがなくなったのは1984年4月25日とあるので、そろそろ祥月命日

で、来年は没後40年となりですか。そんなになるのですね。

大江さんが書いているのを、ちょっと見てみることにです。

「この大学者の死を、センチメンタリズムに侵蝕されかねぬ自分の小さな回想で

記念しようとは思わない。林達夫の仕事、人間的なありかたの、圧倒的に多彩な、

自由に拡がりかつ強靭に収斂されもする精神の多面体を、未来にどうつなぐか?

自分でできることは自分のこととして、そこを越えて他者に期待することとして、

どのように林達夫以後を考えるか?そうすることによって、短い期間なりとこの

巨匠の肉声にふれえた者らのひとりとして、次の世代へどのように媒介役をつと

めるか?」

 これを書いた時の大江さんは49歳でありました。今考えるとずいぶんと若かっ

たのでありますね。このくだりを読むと、亡くなった大江さんについて言われて

いることに重なってくることであります。

 林達夫さんは87歳で亡くなり、大江さんは88歳ですから、どちらも長命であり

ました。

 これが掲載の「図書」もさがせばでてくるのですね。