神は細部に宿り給う2

 山口昌男さんの「本の神話学」は、アビ ヴァールブルグを顕彰するために
書かれたものではないかと思われるほどです。山口昌男さんは一時代の知的
ヒーローでありましたが、その代表的な著作「本の神話学」が、いまは品切れで
あるようです。中公文庫は品切れが少ないといわれたのも、いまは昔であります。
「本の神話学」中公文庫版の解説は、大江健三郎さんでありますが、小生が手に
しているのは昭和52年(77年)刊でありますから、まだノーベル文学賞なんて
のは、夢のような時の文章です。

「 いま思い出してみれば、具体的な山口昌男の存在に接したのは、かなり以前の
ことだ。それは林達夫先生を囲む会においてであった。・・・・僕はいまあの会で、
林達夫先生の仲立ちにより山口昌男の前に立っていた自分が、当のその眼の前にいる
人物が抱懐しているものについて、いかに無知であったかと、あらためて怯みこむ
ようにして思うのである。ちなみに『本の神話学』の冒頭の章は、『二十世紀後半に
おける人間科学の知的起源を探り当てるという期待』を、ワイマールのワールブルグ
研究所・文庫にたくして、実際にそこから限りなくひろがってゆくのだが、林達夫
いう名前こそでてこないものの、そこにはワールブルクと対比されるような存在と
して、つねにこの我が国の人文学者への意識があると解読される。また、ここで
言及されているような人間科学の、総合的かつ部分において生き生きした、すば
らしい展開を思いつつでなければ、林達夫先生が引用される、『神は細部に宿り
給う』という言葉の意味合いも、十全には受け止められうるものではなかったと、
遅まきながら気づくのである。」

 山口昌男さんの「本の神話学」第一章「二十世紀後半の知的起源」」はUSAの
思想史家であるスチュアート・ヒューズの「意識と社会」を読んで新鮮な驚きを
受けたことからはじまり、その教えを受けたピーター・ゲイの著書「ワイマール
文化」の紹介へとうつります。このゲイの前著である「啓蒙主義」巻末におかれて
いる約130ページに及ぶ文献目録の一つ一つについている的確なコメントに、
ゲイが並の歴史家ではないということを感じたとあります。
「訳書(ワイマール文化の)で34ページを占めるこの文献解題にも、ワサビの
利いたコメントが付けてある。書痴ともいうべき書物に淫した人間にとって、
本は、叙述ばかりでなく、また装幀、インク、紙質ばかりでなく、文献目録及び
注などを通してきわめて雄弁に語りかけてシビレさせるものであるが、本書は
書痴でない人間にも、文献目録だけで二時間や三時間は十分に時間を忘れさせ、
独立した知的な愉しみを与える充分な内容をもっている。」