加藤周一追悼 2

 大新聞において加藤周一さんの追悼文章をかくというのは、きっと大変名誉なことで
あるのでしょうね。ネットでありましたら、いろいろな立場の人が、いろんなことを
書くのでありますが、大新聞の場合でありましたら、編集部がその人にふさわしい方に
依頼することになるのですが、亡くなってすぐの追悼文でありますからして、無難な人
が、無難なことしか書かないのでありましょう。(数日たってからでも、いっこうに
かまわないと思うのですが。)
 加藤周一さんと一番おつきあいの深い新聞は、朝日新聞でありますが、本日の朝刊
では、大江健三郎さんが文章を寄せて、井上ひさしさんが談話を寄せています。朝日
新聞としては、きわめてまっとうな人選でありますし、ともにそれなりなのですが、
なんとなくもの足りないものを感じます。加藤周一について語らせるのに、
大江健三郎井上ひさしというのが朝日新聞のセンスでありますね。
(なんとなく、そのうちの一人は、自分以外の誰がこの役目を担うことができるかと
思い込んでいるみたいで、編集部でほかの人に依頼したら、私はこのあと朝日新聞
には文章を寄稿しませんからねといいだしそうに思えます。)
 別にネットの書き込みのように、「日本を駄目にしたとんでもない人間で、亡く
なったのが遅いくらい」といったとんでもコメントを期待しているわけではないが、
それにしても、より若い世代で、誰かふさわしい人はいなかったのでしょうかね。
加藤周一さんの衣鉢を継ぐのはどのような人でありましょう。
 大知識人の系譜というのは、林達夫から加藤周一というように立ち位置は違うもの
のともに平凡社で百科事典の編集長であった二人に見てとれるのですが、印刷の百科
事典が消滅すると大知識人の役割もなくなるのでしょうか。
 加藤周一さんは、森おう外、木下杢太郎につながる文人でもありました。加藤さん
は、早くに医師としての活動をやめてしまうのでありますが、医師で小説家という人
は、渡辺淳一さんや南木佳士さんなど、けっこういらっしゃますが、こういったかた
と木下杢太郎さんは目指す方向が違うと思うのですが、木下杢太郎の路線に、
加藤周一さんをおいても、その間口の広さでは違和感がないのでありました。
 大知識人というのは、なによりも近代日本が必要とした存在でありますが、ネット
時代には、頭のなかに情報を溜め込む必要がなくなりますので、印刷の百科事典と
同じく、前世紀の遺物のようになってしまうのでありましょうか。