このようにあるのを見ると

 図書館から借りてきたくぼたのぞみさんの本「J・M・クッツエーと真実」を手

にしています。昨日に記したように、まずはあとがきに目を通してみることにです。

 北海道の小さな町 新十津川に生まれたくぼたさんは、どのようにして翻訳家に

なり、どうしてアフリカの女性作家やクッツエーのものを翻訳するようになったか

に関心がわきました。

 あとがき(エピローグとなっています)には、次のような記述がありました。

「ジョン・クッツエーよりちょうど十年後にわたしは北海道で入植者第三世代とし

て生を受け、憧れの内地、本州のメトロポリスへ出た直後にざんぶりと荒波をかぶ

り、難破船さながらだった。『68/69』の激動期に不意を突かれるように突きつ

けられた問題がどういうことだったのか、自分なりに理解しなければ先へ進めない

と感じた。やがて北海道と東京との関係を、世界規模の植民地化の歴史的枠組みの

なかに置くとヒントが得られるかもしれないと気がついた。北の旧国内植民地の

入植者の末裔にとっては、アフリカの被抑圧者側に『共感』するだけでことが済む

とは思えなかったのだ。」

 1950年生まれのくぼたさんは、北海道と東京都の関係を世界規模の枠組みに置い

て考えることが必要とありますが、後段にありますように北海道というのは、内地

蝦夷地の複層でありまして、それにどのように向き合っていくかですね。

「明治時代から政府が百五十余年にわたり植民地化、近代化を推進した北海道で、

第二次世界大戦の敗戦占領期直後に生まれて、十八歳までそこで暮らした。

初めて手にした小学校の教科書には、内地の『桜吹雪の入学式』の写真が載って

いた。その教科書をランドセルに入れて、真正の『吹雪』のなかを、またたくま

に道を埋める雪をこいで初登校した四月。それ以来、自分はどんな『日本人』かと

考えつづけてきた、それがわたしだ。」

 このくだりは、まったく同感でありまして、まったくそのとおりであります。

くぼたさんは、北海道に戻ることなくクッツエーの作品と格闘するなかで、自分

はどんな日本人かと考え続け、北海道に戻って職を得た当方は、中年になってか

ら先住民という課題に直面することになったのでありますね。