山の子供 10

 畔柳二美さんの「山の子供」に触発されて、当方の「山の子供」時代を思い出して
おります。発電所暮らしは中学1年生のときで、開拓地で暮らしたのは、その前の
ことでありました。
 開拓地の電力供給についてと思って検索をかけておりましたら、当方が小学校時代
を過ごしたところの歴史を伝えるページにあたりました。
「 入植当時、生活における灯りはカンテラと灯油ランプが主流であった。
 昭和23年に電気導入を望む声が出始め、北海道電力と交渉したが、断られた。
当時、北電の供給電力に余裕が無かったことと、遠隔地であったことがその理由に
挙げられた。
 しかし、依然として住民の電気導入に対する希望は強く、ならば自家発電を
しようという相談がまとまった。
北海道水力自家発電会社、緑川水力タービン発電工事社両社の協力指導の下、
精進川の流れを利用した水力タービン自家発電を実施することとなった。
工事は昭和24年1月に着手され、3月末に完成、全戸に送電され、翌25年には小学校
への送電も開始された。ラジオやスピーカーなども設置され、昼間は精米や精粉な
ど、仕事をする上でも大きく役立った。
北電による電気導入(昭和36年)まで、この自家発電施設は住民の生活に大きく
貢献した。」 
 当方が、この地に越したのは1961(昭和36)年4月で、北電による電気導入は、
その年の12月であったと思います。渇水期には、ほたるの光のような電灯しか
ともらなかったのですが、これが希望の光であったことには違いありません。
 この開拓地は大きな街から近いところにあったせいもあり、北電の電気導入は、
わりとスムーズであったようですが、本当の意味での僻地にあっては、電力会社に
電力供給を引き受けてもらうというのは、とても大変なことでありました。
 松家仁之さんの「沈むフランシス」は発電能力250KWとありました。
 この作品に登場する発電所の管理人さんは、次のようにいっています。
「もちろん、北海道電力からも電気は来ているけどね。故障することがあるし、
定期点検も必要だから、そのたびに停電させるわけにはいかない。ただ北海道電力
系の電気が万が一停まっても、安地内は停電にならないし、村の電気料金は北電か
らまるまる買うよりははるかに安い。余剰電力は北電に売ってるんだ。」
 なんとなくいいことずくめのようでありますが、ほとんどはこれの逆というのが、
過疎地におけるの自力での電力供給の現状であるようです。
 検索をかけていましたら、次のようなものもありました。
http://econ.hgu.jp/books/pdf/524/kosaka_57462.pdf