小説ではないものの

  NHKこの期間の朝ドラは北海道が舞台となります。戦後まもなくからの十勝

の人々が描かれているのですが、その時代の十勝で暮らした人は、それを見ます

と違和感を感じるだろうなと思うことです。

 江戸時代から大正くらいまでが舞台でありましたら、ほとんどその実際を知って

いる人はいなくなっているのですが、戦後まもなくといえば、まだまだ人々の記憶

に残っていますからね。

 それで「庭のエスキース」を話題にであります。北海道、新十津川町、大正9年

生まれの絵を描く実在の男性が取り上げられています。 

庭とエスキース

庭とエスキース

 

  小説でも、ルポでもなくて、エッセイというか不思議な散文でありますが、

当方が気になるのは、その男性(文中では弁造さんと呼ばれている)が語る、

その口調であります。(話の内容がではありません。)

 作中の弁造さんは、次のように語ります。

「このカラマツは、丸太小屋を建てるために植えとるんじゃ。内地から来た

あんたからしたら真っ直ぐな木といえばスギじゃろうが、北海道ではスギは

育たんからカラマツが丸太小屋に使う材としては一番いいんじゃ。もう少し

太くなったら立派な丸太小屋になるぞ。」

 弁造さんは、新十津川で生まれてから東京にでて川端画学校で学び、その

後北海道に戻り札幌で絵画を教えたりしていた経歴を持っているとのことです

から、新十津川にずっと暮らしていた方よりも、話口調は洗練(早い話があま

りなまりを感じさせない)されていても不思議ではないかもです。

 それにしても、こんなに語尾に「じゃ」をつけた話し方をするでしょうかね。

 当方は子どものころ、かなりの田舎で暮らしていたこともあって、弁造さんの

ような人の話と話をした記憶があるのですが、その人たちがどのような話し方を

していたろうかと思うことです。

 そんなことにひっかかっているのも、そろそろ80歳になろうかという浜育ちの

方の聞き取りを続けているのですが、聞き取りはテープにとって、そのままに文

字に起こしますと、「そうだべ」というような言葉が語尾を飾ってしまって、語りが

愛嬌をこえて、乱暴な印象を与えてしまいます。かといって、よそ行き言葉に直し

ますと、その人物の魅力が伝わらないのでは思われて、さてどういうような語り

口調にするのがいいのかと思案することであります。

 「庭とエスキース」の著者奥山淳志さんも、たぶん同じように思案されたので

はないかなと思います。奥山さんが弁造さんと話をするときには録音機をまわす

なってこともないでしょうから、ノートも取らずに聞き取りを行ってから、それを

奥山さんのなかで再構築して会話文を作っていったのでしょうが、弁造さんは、

ここで表記されているような語り方をしたのかな。