無条件の傑作!

 川本直さんの「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」を読んでおりました。

なんとか最後におかれた川本さんによるちょっと長い「あとがきに代えて」に

目を通し、あとは主要参考文献のリストを残すだけになりました。

 それにしても、このような時代、なんでもコスパが重視されるときに、この

作品は、ひどくコスパが悪くて、それだけで反時代的な作品といえるかもしれ

ません。 

 これだけ時間がかかっていて、しかもそこそこ読者を選ぶ作品というのは、

売れるということからは遠いでしょうから、これは声を大にして傑作、読んで

みましょうと言わなくてはです。

 2021年というのは、新人による注目の小説が刊行された年でありまして、

その一つはその後の国際情勢のせいもあって、大ベストセラーになったのです

が、こちらのほうは、それと比べると大きな賞は受けたものの、あまり身近で

話題になっていないことのように思います。

 むしろ、小説好きの当方には、こちらのほうがずっと推せるのでありますが、

この作品の魅力をどのように記せばいいのかなと思うことです。

 まずは、仕掛けよりもなによりも、作中の人物が魅力的であることですよね。

それこそ戦間期のパリを舞台にしたくだりとか、戦後におけるUSAでの作家

たちとの交流などは、日本でもよく知られた文化人たちが登場することもあって、

うら話を聞くような楽しさがあります。

 そしてそうした文化人たちの背景にある西洋古典についての蘊蓄が披瀝される

楽しさであります。時代と空間をこえて、USAとヨーロッパを往来します。

そして、この時間と空間をこえるところを叙述するための仕込みがすごいこと

になります。(主要参考文献がすごく楽しい)

 そうした仕込みの上で、作品が展開されていきます。この作品で、吉田健一

さんが重要な役回りを演じるのも理解ができることであります。

 あとがきの吉田健一さんが登場する印象的なくだりを引用です。

「自著でバトラーに言及している日本の作家は同時代を生きた吉田健一と三島

由紀夫だけだ。主に英文学の批評と翻訳で知られる吉田が、珍しくアメリカ文学

を論じた『米国文学の横道』(垂水書房 1967)に収録された『ジュリアン

バトラアに就いて』で自ら訳した『空が錯乱する』を評している。米国の文学で

はなく、オスカー・ワイルドやイーヴリン・ウオーといった英国の文学の影響が

バトラーの文体には色濃いと吉田は見做し、『空が錯乱する』というタイトルは

ハクスリーの詩『ネロとスポルス(吉田の表記に従えば『ネロとスポラオス』)

から来ていると指摘した。」

 吉田さんについてのくだりを読んだだけでも、この作品のたくらみがわかるの

でありますが、このあたりのファクトチェックをするというのは、まるでつまら

ないことで、これについて書いてあるものを読むと、ネタバレとも思えることを

記していたりするので、予備知識なしで手にして、とにかく読んでみることをお

すめです。

 帯に辻原登さんの評があって、豊崎社長が鮭児文学賞としたのもよくわかる

傑作です。