脱兎のごとく

 すでに返却期限を何日か過ぎている長谷川郁夫さんの「吉田健一」でありますが、
図書館が開館する明日には返さなくてはで、本日は走り読みで、なんとか最後まで
たどりつきました。
 吉田健一さんは、ずっと気になっているのですが、垂水書房からでた著作が古本
屋でゾッキ本として販売されていたころには、そのあとで評価が高くなるとは思っ
てもいなかったことですね。
 この長谷川さんの本は、年譜にしたがって吉田健一が出来上がるまでを著述して
います。吉田健一さんが首相の御曹司 自称乞食王子から、メジャーな存在へと
転換したのは、復刊した「ユリイカ」に「ヨーロッパの世紀末」を連載することに
よってということがわかります。1969年6月のことになります。
吉田さんにすれば、それまでの垂水書房から刊行したものと、特に違ったものでは
ないのに、やっと時代がついてきたということになるのでしょうか。
 当方が吉田健一さんに注目をするようになったのも、この頃でありました。しかし
文学論とか文明批評は、とってもなじみにくいこともあって、購入しても読む事が
できませんでした。「書架記」「交遊録」など、この時代にはずいぶんと買い続けた
ことです。
 いちばんなじめたのは「私の食物誌」「酒肴酒」のような気軽に書かれたエッセイ
でありました。
 これじゃいかん、やっぱり吉田健一さんの岩波文庫にはいったものとか、小説の代
表作を読まなくてはと、何十年も思い続けていて、いまだできてなしです。
そんなところに、この本がでたのでありますので、もっと早くに読むのでしたが、読
むきっかけが長谷川郁夫さんの新刊がでるのにあわせての新潮「波」編集後記で吉田
さんの著作を出し続けた垂水書房に言及していたからであります。
 長谷川さんは、この本を書くにあたって、その後の垂水書房主人に接触し、吉田さん
にも垂水書房とのことを質問しています。このあたりは、当方にとって、この本のハイ
ライトとなりました。
 長谷川さんがやっていた小沢書店からは、生前に何冊かの著書を刊行し、1974年に
二冊本の選集(小説を除く)をだすことになりです。
 この時のことを長谷川さんは、次のように書いています。
「全評論集とはいえ何か簡潔で洒落た書名を付けたいと考えて、吉田さん自身の批評を
一語で表して欲しいと申し出ると、即座に『ポエティカでしょう』との返事。名刺の裏
にサインペンでPoeticaと書いてくれた」
 たぶん、この時に書かれた「Poetica」は、次のものでしょう。

 これは小沢書房が月報ということでだしていた冊子の題字からスキャニングしたもの
でありますが、この月報を見ましたら、「題字 吉田健一」とあります。
この月報は二年ほどで刊行が中止となったのですが、残念ながら吉田健一さんの特集が
組まれることはありませんでした。