あれこれとつながって

 本日は月曜日でありますので、パン作りにトレーニング、そしてすこし読書と

なりました。パンは、自家製酵母の元気がよろしくて、イーストの力を借りるこ

となく作業を進めることができました。ちょっと久しぶりですが、以前の酵母

どこが違ったのだろう。これがわからないけども、自然の酵母だからな。

 その合間に「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」を手にして読んでおりまし

た。これがほんと思った以上に面白いのですね。当方の関心領域にいろいろと

かぶる話題がありまして、そういえば、これについては、その昔に本を買って

あったなとか、この人とこの人は、ここでつながっているのかというような

ことがありまして、このような気づきが面白いのも、ちょっとくだけた小説

仕立てになっているからでありますね。

 117ページにある、次のくだりなどに喜びました。(ここで私とあるのは、

小説の語り手である人)

「ジョージ・ジョン名義の短編は中流階級についての地味な物語ばかりだ。・・

それでも私はやっと自分の小説を発表できる喜びを噛み締めていた。ささやか

な成功に気を良くして、私はフィリップ・エクセター・アカデミーを舞台にし

た長編小説『かってアルカディアに』の構想を練り始めた。ウオーの『ブライ

ズヘッドふたたび』の第一部の章題にも使われているラテン語『エト・イン・

アルカディアー・エゴ』を英訳したタイトルだ」

 「かってアルカディアに」というのは、当方が知っている数少ないラテン語

の言葉でありまして、これは佐藤亜紀さんの小説「バルタザールの遍歴」の新

潮文庫表紙カバーに「ET IN ARCADIA EGO 」と刷り込まれていると、この場で

話題にしたことがありました。

 当方は、この言葉は篠田一士さんが編集したアンソロジー伝統と現代」に

収録されているパノフスキーの文章のタイトルとして知ったのであります。

アルカディアの牧人 」というプッサンの絵画があって、それの解説をするも

のなのですが、ギリシャの理想郷といわれるアルカディアにも、死は存在する

のだというような絵解きではなかったろうかな。

 当時はワールブルグ派というのが、よく話題になっていましたので、この

「かってアルカディアに」とあるのを見ますと、 篠田一士さんが紹介してく

れたパノフスキーを文章を思いだすことで。

 そして「ブライズヘッドふたたび」でありますよ。吉田健一さんが翻訳した

この小説の訳をすばらしいと教えてくれたのは、長谷川四郎さんの文章でした。

半世紀近くも前の話ですが、その頃に「ブライズヘッドふたたび」を読んだき

りで、すっかり忘れているのですが、アルカディアでつながるのですね。