やっと佳境に

 随分と前から読んでいる長谷川郁夫さんの「吉田健一」でありますが、なんとか
三分の二までページが進んできて、当方にとっての佳境をむかえています。
 なんといっても、垂水書房 天野亮さんが登場するくだりと篠田一士さんとの
関わりのところに関心があるのですからして。
 そういえば篠田一士さんには「吉田健一論」という著作があるのでした。

吉田健一論 (1981年)

吉田健一論 (1981年)

 國學院大學の非常勤講師としてお二人は出会うわけですが、最初に出会ったときの
ことを篠田さんが書いていますが、それを長谷川さんが次のように紹介しています。
「偶然に出会って、何気なくホーム・グランドの一つである『小川軒』にビールを
飲みに誘った英語教師の若者が、わが批評文学の良き理解者本人であるとは、高笑い
するほかなかったことだろう。」
 吉田さんの「東西文学論」が論じられた同人雑誌「秩序」を手にして、その批評を
読んでうれしく思ったのだけど、知らずに声をかけた青年が、その著者であったとい
う話となりです。昭和29年ころのことですから、篠田青年は27歳くらいですか。
 篠田さんの二冊目の著書は、垂水書房からでたのでありますね。この本は、その後
に再編集されて、長谷川郁夫さんの小沢書店からでたのでした。
 それで天野亮さんであります。
「本書(『シェイクスピア』)の刊行が遅延したのは、この企画を手にしていた天野
亮が池田書店を退社、独立するという事態が出来したためだろう。天野亮が港区笄町
で垂水書房を興したのが何月のことかは判らない。文理大学時代の恩師である福原
麟太郎の随筆集『芸は長し』が『昭和三十一年八月二十日』の奥付表記で上梓されて
いるから、おそらくこれが創業出版であろうと想像される。
 吉田健一と垂水書房。乱暴な言い方が許されるなら、この先、吉田さんの文学的生涯
は約二十年と限られるが、その真半分は垂水書房=天野亮が寄り添うものであった、
いや、著者としての吉田さんは垂水書房と命運をともにした、といえるだろう。
そして、それは著者と出版社との理想的な関係を示す、もっとも美しい例の一つに数え
られる筈だった。堀口大学第一書房、のように。」
 ここのくだりを読むために、この640ページ二段組の本を読んでいるようなもので
あります。ちなみにこれは407ページですから、このあとまだ240くらいもあるの
ですよ。
吉田健一

吉田健一