ブックオフで父もの二冊

 遅ればせながら亡父の残したものの片付けなどをしております。亡くなって

17年でありますし、母も亡くなったことから、そろそろ本格的にしていこうか

なと思うことですが、片づけにかかろうとしたら、どうして、これらが残ったの

かと考えてしまうことです。

 亡父は1920(大正9)年生まれでありまして、戦前に尋常小学校を終えて、

そのあと代用教員となって何年か過ごしたあとに、教員養成所に入って青年学校

の教員となりました。

 青年学校というのは、高等科を終えた子どもたちに、社会人としての教育を施す

ところでありますが、時代は戦時下ということもありまして、ほぼほぼ兵隊養成の

ための学校となっていたようです。

 その時代の(ということは若い頃のということですが)亡父の写真をみますと、

これはもう別人のように厳しい顔をしています。

 結婚したのは戦後のことでありますので、そのときには社会体制ががらっと

かわっているわけですから、自分の中で戦前と戦後をつなげるのに、相当に苦労

したのではないかと思うのです。

 なかなかこのことについて、親子でありましても、話をするということはない

のでありますね。とくに亡父のように幼少期にひどく貧しい生活をした人は、昔

の大変であったときのことを、語ろうとはしませんでしたから。

 ということから、亡父の残した書き物などのなかに、伝えたかったものがあった

のではないかと思って、ちょっとのぞいてみなくてはと思うのです。

 そんなことを思っていたら、ブックオフで父親について書いた本が二冊目に入り

まして、それが安価であったことから、買ってしまうことにです。

 買ったのは、次の二冊です。

父の肖像

父の肖像

Amazon

 辻井さんのところの父ものは、けっこう複雑な家族ということもありまして、

あまり参考にならんかなですが、これは後まわしにして、まずは北村薫さんの

ほうを、ちょっとのぞいてみることにです。

 北村さんは年齢が、当方に近いですから、たぶんその父上の年齢も当方の父に

近いのではないかなでありまして、そんなことから興味がわくことです。

 北村さんの小説の序に次のようにありました。

「父の書いた日記があることは知っていたが、存命中に開いたりしなかった。

そんなことは出来ない。家族であろうと、日記を覗くことは許されない。

 父がいなくなると、そこでひとつの重しが取れた。それらがまるで、<読め>

といっているように思えた。」

 そうなんだよね。処分せずに残されているというのは、<読め>ということな

のだよな。多くを語ることはできなかったけども、残してあるものを読んで理解

してくれよということなんでしょう。