本に戻らなくては

 何日かほとんど本も読まずに過ごしていましたが、すこしは本の世界に戻らな

くてはです。読みついでいる足立巻一さんの「虹滅記」を終わらせてしまわなく

てはいけないのですが、これは漢学、漢文学の世界に生きた人々の話でありまし

て、文中には漢詩なども登場することから、すこしはなじまなくては前に進みま

せん。

 戦前であれば、このような文学はインテリのたしなみであったのでしょうが、

すくなくとも当方の知り合いで漢詩文が作るとか好きとかいう人はほとんど

いないことです。

 こうした漢詩文離れというのは、明治以降において加速することでして、明治

において著名であった漢学者さんなども、最近ではほとんど知られなくなって

いることでしょう。

「学海いうまでもなく明治の漢学者であり戯作者であり演劇通でもあった。

天保四年、佐倉藩士依田貞剛の二男として江戸に生まれた。・・・

 また漢学者といっても道学者の臭みはいささかもない江戸っ子だった。

曲亭馬琴の小説や中国の白話小説を愛読する一方、明治の興った新文学に広い

理解を示した。森銑三『明治人物夜話』によれば、その家には文人が出入りし、

談論を交わしたという。露伴が文壇に出たのも、学海の推輓によった。」

 足立さんは「いうまでもなく」と「依田学海」のことをいうのでありますが、

最近の読者でありましたら、依田学海さんの名前は、山口昌男さんの著作など

で、やっとこさ聞いたことがあるかなという感じでしょうか。

 足立さんは、依田学海さんについての文章を、次のようにしめていました。

「あの『一世に時めいた学海でさえ、『一生不遇・・・』と自分をきめつけて

いるのである。事実、多くの貴重な資料を含む日記も活字にされないままだし、

おびただしい著書も読み返されることはないだろう。文壇の巨匠といわれた

菊池三渓にしても同じである。明治になって漢学が文壇の主流をはずれると、

かれらは一様に忘れられていったのである。」

 このあと、また流れがかわって、時めいた人たちが一様に忘れられていくこ

とがあるのでしょうか。

 足立さんが活字にされることがないと記した学海の日記は、1990年から

活字となって岩波から刊行されました。足立さんが知ったら喜ばれたことであ

りましょう。